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ヨーロッパ人に質問。

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Bluemonday
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MessagePosté le: 27 Juin 2004 14:21    Sujet du message: ヨーロッパ人に質問。

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村上龍の『タナトス』を読み終わって、ひとつ質問があります。

まず、簡単な紹介から:
この小説『タナトス』は『エクスタシー』(1995年4月)、『メランコリア』(2000年9月)に続く村上龍の3部作として紹介されている。
登場人物は3人の日本人、ヤザキ(男)、ケイコ(女)、レイコ(女)で、各小説のキー・パーソンとしてそれぞれが各自外部からの聞き手を持ちながら、彼ら3人の関係について独白する、というのがこの3部作の特徴だ。
つまり、

『エクスタシー』ではケイコが語り手、ミヤシタ(男)が聞き手。
『メランコリア』ではヤザキが語り手、ミチコ(女)が聞き手。
『タナトス』ではレイコが語り手、カザマ(男)が聞き手。

この3部作に一貫している3人の関係性の基礎はSMとドラッグと旅などという村上龍の得意とする素材に、彼らの関係性における快楽と支配の空間におけるリズム感とその合間に繰り返される哲学的議論、こういったものが物語を支えている。
この基本姿勢は『コインロッカー・ベイビーズ』と変わらない。
しかし、この3部作が完成するまでの10年の歳月の間の村上龍の進化は目を引く。それは、これが3部作であると知らなければそれと気づかないかも知れないほどだ。
個人的にはこの進化をうれしいことだと思っている。

それで、本題の質問ですが、フランス語の翻訳がまだ出ていないので、日本語で質問の箇所を引用します。

『タナトス』 村上龍 (集英社文庫、2004年3月出版) 217ページ~220ページ
Citation:
「お前がおれの前では別人になっているからだ」
パリであの男が言ったことがわかったような気がした。何人かの男、フランス人とスイス人とドイツ人の男と付き合ったり一緒に暮らしたりしたが、彼らは、一人のわたしを求めてきた。わたしが、たった一人のわたしを自分で規定することを要求した。それ以外には自分はないという唯一の自分、それを形作るようにと、お互いを知り合う中で強制してきた。あなたは、と彼らは言う。そのあなたを、あらゆる他のあなたとは違っていなくてはいけない。わたしは、とわたしは彼らに向かって言う。そのとき、わたしは誰であるかを規定していなければならなかった。そして一度決めたら変更はできない。ヨーロッパ人はそれに快楽を感じるらしいが、わたしはそうではなかった。ふとしたときに、あなたらしくないわね、と言われる。集中して、自分でどういう風に自分を規定したか常に思い出していなければいけなかった。それはモラリティや価値観の問題ではなかった。関係性だった。一度決めたら、彼らとの関係を変えてはいけなかった。送信される電波がある決まった声帯を使うように、わたしは自分のすべてを、話し方や服装や表情や仕草や嗜好を決めて、それを変えることはできなかった。彼らは実際にそうやっていた。それが階級だ、と教えられた。階級は守られなくてはいけない、という意味のことをわたしに言ったのは、まとまった時間一緒に暮らしたフランス人の建築家だった。建築だけでなく、株の取引もやっていた。ポーランドからの移民の子孫だった。成層圏や大気圏のように階級はある、とかれは一度だけ、わたしに説明した。階級の話はそれから二度と聞くことがなかった。階級は集団の塊ではなく、いくつかの層状に分かれているものだ、と彼は言った。個人と集団を混同して語ることは危険だが、そういう層状の区分けは人間一人一人の中にあって、それはもちろん初期中世のキリスト教によるローマ帝国の境界線より起源が古い。ローマがゲルマンを、それにマジャール人やノルマン人をあれほど恐れたのは、それが人間の制御しがたい精神の闇を象徴していたからだ。われわれの精神の闇は暗黒の夜の孤独な想像力によって生まれた。夜が精神を作った。度重なる蛮族の襲来と疫病の流行によって、中世に階級の基礎が築かれた。誤解のないように言っておくが精神が環境を作るわけではない。存在する歴史の数だけの、つまり無限の多様性を持つ精神が、環境に淘汰されるだけだ。欧州で勝ち残り進化を続けたのは階級社会だった。階級はいまでも進化を続けているし、階級闘争は続いている。階級は宗教よりも国家よりも強い。誤解のないように言っておくがブルジョアジーが労働者を搾取し続けているというような幼稚な階級社会ではないし、社会主義革命だけが階級闘争ではない。階級を存続させるために、あらゆるもの、すなわち宗教改革や印象派の音楽やクリミア戦争や自動車レースなどが生まれた。君がここで生きていくつもりだったら、君の階級を常にアピールしなくてはならない。階級の境界を横断することは許されない。語学において君には大きなハンディがある。それを埋めるものは、ファッションと教養とメイクアップと表情、つまり外部への自己主張のバリエーションだ。君は絶えず君自身を厳密に選びとり、それ以外に君がどこにもないようにするべきなのだ。それはいつもドレスを着て上手なおしゃれをしてクラシックの演奏会に出かけ穏やかな微笑みを絶やさないようにすることではなかった。夜のベッドでも貞淑さを失わないというようなことでもなかった。わたしがどういう階級に属しているかを日々アピールしなくてはいけなかったのだ。わたしの歴史を、つまり精神の層の中の特定された一つを示さなくてはいけなかった。最初はそれは非常に心地よかった、と女優は言った。わたしは、凛(【りん】)として胸を張り背筋を伸ばした状態のわたしをヨーロッパ人の前でアピールした。当然わたしは歓迎された。わたしは無理をしていたわけではない。違う人格を演じていたわけではない。わたしの精神の層の一つを意識的に選びとっただけだ。あの男が快楽に至る回路をわたしのからだに作り上げていらから、ヨーロッパの男達とのセックスにもオルガスムはあった。わたしは決して自分が選んだ階級に疲れたわけではない。日本よりもむしろ生きるのが楽だと思ったものだ。だからわたしはどうして精神の変調が訪れるようになったのかわからない。だがいつもわたしはあの男の言葉を思い出した。
「お前がおれの前では別人になっているからだ」


質問①:
Citation:
わたしがどういう階級に属しているかを日々アピールしなくてはいけなかったのだ。わたしの歴史を、つまり精神の層の中の特定された一つを示さなくてはいけなかった。最初はそれは非常に心地よかった、と女優は言った。わたしは、凛(【りん】)として胸を張り背筋を伸ばした状態のわたしをヨーロッパ人の前でアピールした。当然わたしは歓迎された。わたしは無理をしていたわけではない。違う人格を演じていたわけではない。わたしの精神の層の一つを意識的に選びとっただけだ。

ここで繰り返しいわれる「階級をアピールする」というのは「自分とは誰か、何かということをはっきりさせる」という意味で、「本人であることの身分証明をする=identifier」の同義語と言えると思うのですが、日本人はそれが不得手なのでしょうか。


質問②:
Citation:
そのとき、わたしは誰であるかを規定していなければならなかった。そして一度決めたら変更はできない。ヨーロッパ人はそれに快楽を感じるらしいが、わたしはそうではなかった。

フランス人やヨーロッパ人にはここで言われるように、そのことは人間関係を形成し、維持する上でとても重要なことでしょうか。


質問③:
Citation:
何人かの男、フランス人とスイス人とドイツ人の男と付き合ったり一緒に暮らしたりしたが、彼らは、一人のわたしを求めてきた。わたしが、たった一人のわたしを自分で規定することを要求した。それ以外には自分はないという唯一の自分、それを形作るようにと、お互いを知り合う中で強制してきた。

ここで、女優(=レイコ)に対して彼女のヨーロッパ人の恋人が強要した唯一絶対の「レイコ像」というものだけを受け入れ、その他の彼女の人格を拒否するということは、日本人特有といわれる人間関係や社会への「甘え」を拒否することだと考えるのですが、(だからこそ、日本人はヨーロッパ人を個人主義だというのでしょう Wink )ヨーロッパ人にとってのその「甘え」の行き先はどこにあるのでしょうか。

質問④:
同じく「甘え」の問題で、ヨーロッパ人が日本式の「甘え」の構造に(故意か偶然かを問わず)入り込んだとしたら、そのヨーロッパ人の中で、どのような変化が見られるとおもいますか。(わたしは、その人は嫌な気分になるだろうと思う。 Rolling Eyes

質問が多すぎてすみません。(結局ひとつじゃなかった) Embarassed
よろしくおねがいします。
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frederic
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MessagePosté le: 28 Juin 2004 01:48    Sujet du message: 村上

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Bluemondayさん、
かなり難しい質問をしていますね。質問が難しいと言うより答えは難しいと思います。

まず、村上龍の小説から引用した意見は村上龍本人の意見を示していないと思います。小説の中の登場人物の意見なので、その人物の考え方、性格、精神状態などを表すために村上龍がそういう風な文章を書いたと思います。だから、その意見はレイコという登場人物を描写するため、またはレイコのストーリを語るために構成されているものです。
彼女の語る物語と経験は空想であり、小説ではドラマチックな役割をあてています。
まとめて言うとこの小説に描写されているものは架空のものであることを忘れてはいけません。

Bluemondayの質問に戻ると、一個ずつ答えるより、まとめて答えたいと思います。

レイコが最初に困ったのは、彼氏たちに「階級をアピールする」ことでした。「階級」の問題というより、個性、考え方を求められたのではないかと私は思います。日本風に言うと「本音を見せて欲しい」と言う要求だったと思います。一般的に言うと日本人はタテマエで自分の個性を隠す傾向がありますが、ヨーロッパでは相手の本音を早く知りたい傾向があると思います。そのあとの問題も上記の点とつながっていると思います。
次の点は、相手の本音(個性)を分ったら、その人をもっと理解できるし、信用できる構造です。人の意見は相手によって変わったりすると、人を信用できなくなります。レイコの「彼らは、一人のわたしを求めてきた。」とつながっていると思います。
最後に、「甘え」と言う概念は日本特有のものではありません。ただ、日本では「甘え」は社会構造の一つの柱であることを日本の特徴であると言えるでしょう。ヨーロッパでも「甘え」がありますが、性格の一つの面に過ぎないと思います。「甘え」と言う概念、ヨーロッパでは「依存」と「弱い」の悪いイメージがあると思います。

とりあえず簡単に要約した意見なので、もっと発展させて欲しかったら、また質問してください。
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Bluemonday
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MessagePosté le: 28 Juin 2004 14:13    Sujet du message: Re:村上

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frederic a écrit:
かなり難しい質問をしていますね。質問が難しいと言うより答えは難しいと思います。

そうですね、だから質問しているのです。
返信をいただいてとてもうれしいです。 Very Happy

frederic a écrit:
まず、村上龍の小説から引用した意見は村上龍本人の意見を示していないと思います。小説の中の登場人物の意見なので、その人物の考え方、性格、精神状態などを表すために村上龍がそういう風な文章を書いたと思います。だから、その意見はレイコという登場人物を描写するため、またはレイコのストーリを語るために構成されているものです。
彼女の語る物語と経験は空想であり、小説ではドラマチックな役割をあてています。
まとめて言うとこの小説に描写されているものは架空のものであることを忘れてはいけません。

もちろん、fredericさんがおっしゃるとおりです。
でも、わからないことは、どこからこの疑問が出たのだろうか Question ということです。
わたしは村上龍が個人的にどう思っているかなんてどうでもいいと思っているし、登場人物のレイコの立場に自分の身を置いて想像しているわけでもないです。(まあ、たしかに彼女とわたしのあいだに少し共通点があるけど、そんな個人的なことはどうでもいい。 Razz
つまり、わたしの質問は作家の村上龍からも、彼の小説『タナトス』からも独立していて、この小説の引用文は単にわたしに上記のような質問を考えさせた、というだけのことなのです。
わかっていただけましたでしょうか。

frederic a écrit:
レイコが最初に困ったのは、彼氏たちに「階級をアピールする」ことでした。「階級」の問題というより、個性、考え方を求められたのではないかと私は思います。日本風に言うと「本音を見せて欲しい」と言う要求だったと思います。一般的に言うと日本人はタテマエで自分の個性を隠す傾向がありますが、ヨーロッパでは相手の本音を早く知りたい傾向があると思います。

わたしも「階級」という言葉が気にかかるので、他の言葉にしてほしいと思います。
fredericさんが指摘されるように、日本人はよく「自分の意見がない」=「建前(たてまえ)で物を言う」といわれます。それが良いことか悪いことかは別として、それが日本人とヨーロッパ人の文化相互理解から日仏カップルまでの幅広い人間関係に影響を及ぼしている、といえると思います。
このことはわたしの質問①と②に関係していて、fredericさんはきちんと返答して下さったと思います。
つまり、
    解答①日本人は「階級をアピールする」のが不得手である。

    解答②「階級をアピールする」ことは、ヨーロッパ人の人間関係の形成において重要であり、だからそれを他人に要求する傾向がある。


frederic a écrit:
次の点は、相手の本音(個性)を分ったら、その人をもっと理解できるし、信用できる構造です。人の意見は相手によって変わったりすると、人を信用できなくなります。レイコの「彼らは、一人のわたしを求めてきた。」とつながっていると思います。
最後に、「甘え」と言う概念は日本特有のものではありません。ただ、日本では「甘え」は社会構造の一つの柱であることを日本の特徴であると言えるでしょう。ヨーロッパでも「甘え」がありますが、性格の一つの面に過ぎないと思います。「甘え」と言う概念、ヨーロッパでは「依存」と「弱い」の悪いイメージがあると思います


ヨーロッパ人にも「甘え」があるというのは納得できます。
だって、ヨーロッパ人も人間だから何かに「依存」しながら「弱い」ところを見せなくてはいけないときもあるでしょうから・・・。 Wink
しかし、問題はヨーロッパ人が「弱い」ときに何に「依存」するのか、ということです。
日本ではその場合、伝統的に社会が受け皿の役割をします。
たとえば、家庭内では親子関係であり、会社では上司、部下の上下関係であり、社会では娯楽と風俗の文化であると思います。
その土台には日本には外と内、ケの日とハレの日の区別を大切にしてきた文化があるのです。つまり、「弱い」自分を社会が許す日・場所と、それが絶対に許されない日・場所があるわけです。だから、弱さが許される場合では、日本人は本音を語ることができますが、そうでないときには絶対に建前を優先します。また、それは誰かに強制されてするとか、わざと本音を言わないといった人間が調整できるレベルではないと思います。それは常に社会や身の回りの人々との関係との比較の中にあって、その日本社会のメカニズムから日本人は先天的に自由にはならないことを無意識に認識している、つまりそれが彼らにとって自然な人間関係の状態であり、結果的に「個性をアピールする」ことは、自分が属している社会への反逆的行為と見なされ、歓迎される行為ではないわけです。もっと簡単にいうと、日本人は社会という母体から隔離された時点で、彼ら日本人としてのアイデンティーが冒されてしまうわけです。だから、彼らは建前を言うことで、彼らのアイデンティーを必死に守ろう、あるいは外部に示そうとするわけです。
日本社会と日本人との関係は、このように母と乳飲み子のような関係で成り立っています。だから日本には「甘え」の構造が存在し、それが機能しているのです。
つまり、「甘え」はフランス語に訳すことが非常に難しい概念で単に現実逃避で無責任とか、依存して弱さを見せているというヨーロッパ的な否定的概念とは異なるのです。
だからこそ、ヨーロッパ人は、その個人の依存や弱さをどのようにして個人のレベルで(ヨーロッパには日本のような甘えの社会構造がないと思うから)対応してしるのか、それを知りたいのです。わたしの推論では昔は「神」と「人間」の間の対話、「懺悔」や「告白」があったと思いますが、でもそれも少し違う。だって懺悔をするのは悪いことをしたから許しを請うためにするわけですよね。 Question
こう考えていると、存在しないものを探しているような感じです。 Confused
やっぱり、ヨーロッパでは依存や弱さは悪で存在が認められない、父性的な社会だと割り切らないといけないのでしょうか。 Question
    解答③ヨーロッパ人の「甘え」の行き先はどこにもない。というのは、ヨーロッパには日本的「甘え」の概念はなく、それは個人の問題であって社会は関与しない、あるいは悪いイメージを他人に与えるだけだ。


最後の質問はまだ解答を得てないと思います。
ヨーロッパに存在しない概念の中にヨーロッパ人が入り込んだとき、その人に何か変化が起きるのでしょうか。
そんなことは一般化できない、人それぞれだ、という意見が出そうな気がしますが、たとえばfredericさんご自身ではどう思われますか。
「フランス人の変な日本観」のスレでおっしゃられたように「植民地主義」の態度で「甘え」に反発するのが典型的なヨーロッパ人の反応ですか。それともご自身のなかで、何か日本的なものが自分に影響している(たとえば、自分がフランス人か日本人か曖昧になる瞬間とか)と感じられることはありますか。プライベートなことを立ち入ってきくつもりはないので、他人の経験でもいいですから、もし何かあれば教えて下さい。

また、よろしくおねがいします。 courbette
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frederic
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MessagePosté le: 29 Juin 2004 03:28    Sujet du message: 「甘え」と「階級」

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Bluemondayさん、
あなたの質問にまた、直接に答えず、話題について別の面から考えてみたいとと思います。

最初に、私の前のポストに前書きとして、ブルーさんが引用したテキストは「架空のものだ」と書いたのは、ブルーを馬鹿にするためではなく、本題に入る前に、誤解をしないように必ず承認しなければ点であると注意する必要があると思っただけです。個人的なメッセジーだと思わないでください。

私は「甘え」と言う概念に不快感を感じています。なぜかというと、「甘え」の定義が曖昧だからです。インターネットで「甘え」の概念が出っているテキストを探したら、たくさんありますが、テキストによる「甘え」の定義が違う気がするし、日本の社会問題、政治問題、家庭問題、個人問題の全てを説明できる魔法の言葉なの気がする。そういうわけで、できるだけ「甘え」と言う言葉を使わず、ブルーの質問に答えてみたいと思います。
勿論、ブルーさんの「甘え」の個人的な定義があったら教えて欲しい。

村上の小説に出ている「階級」と言う言葉は、私もブルーさんのように怪しいと思いましたが、もう一回考えてみると問題解決の一つの鍵かもしれません。「階級」は階級闘争とつながっているし、マルクスの思想とか、社会運動、社会構造と思い浮かばせる言葉です。村上龍はそのことをよく理解して、技と「階級」を書いたと思います。
一般的な話に戻ると、私の日本社会構造のイメージは、家族主義的な構造で、上に父がいて、下には子供がいます。父は権力をもって、子供の世話をしていますが、子供達は父に従って行動して、父に守られています。社会の面で見ると、階級は上の人(父役)と下の人(子供役)と言う風に分かれています。下の人は、上の人、先生、社長、政治家などのために自分の意見、個性を隠さなければいけない又は、場合による殺さなければいけない、しかしその代わり守られています。その親子関係から依存も生まれます。
しかし上の人から見ると、上の人の中で強い個性を持っている人がいるし、建前を使う必要が少なくなると思います。大省略して、単純化すると、日本の場合に個性は階級のレベルによる許されている、下にいたら、強い個性を許されていなくて、上にいたら個性は自由に見せれます。
ヨーロッパの場合に同じ単純化をすると個性と社会階級は別々として扱われています。
いわば、ヨーロッパ人の目から見ると日本社会は「個人」を侵略している社会構造であると思われます。その「侵略」は依存、弱さ、「階級をアピールする」のが不得手である事などの個人弱点を生み出します。
極一般的な話ですが、そういう解釈があると思います。ヨーロッパでは、人間関係で個性を求まれていて、日本では人間関係で、社会階級を通じて適当な態度を求まれています。レイコの言ったことの逆と思われますが、結局レイコの目から見ると、個性は階級による決められたものなので、レイコが個性を求められた時に、「階級」を求められていると解釈したのではないでしょうか。

個人的な話に戻ると、上に書いたように私は日本社会構造を支えている「甘え」には不快感を感じています。そんな社会に入ると、自分の個性を殺さなければいけない気がするし、自由感を失っている気がするし、顔の無い上に従うのも嫌だし、人間関係で相手の真偽を糺すのは難しくなって、人を信用するのも難しくなる気もします。だからそんな社会に入ると必ず上の人として入りたいのです。 Laughing

単純化したところが多いし、一般的な話なので、いくつかの点についてまた詳細に話し合いましょう。
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Bluemonday
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MessagePosté le: 29 Juin 2004 17:10    Sujet du message: Re: 「甘え」と「階級」

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frederic a écrit:

Bluemondayさん、
あなたの質問にまた、直接に答えず、話題について別の面から考えてみたいとと思います。 

茶々を入れるつもりではないですが、fredericさんはいつも直接的に、もっと上手くいえば「的確に」答えてくださいっているように思います。ありがとう。

frederic a écrit:

最初に、私の前のポストに前書きとして、ブルーさんが引用したテキストは「架空のものだ」と書いたのは、ブルーを馬鹿にするためではなく、本題に入る前に、誤解をしないように必ず承認しなければ点であると注意する必要があると思っただけです。個人的なメッセジーだと思わないでください。 

いえ、全然馬鹿にされたなんて思ってませんでした。心配してくれてありがとう。でも、わたしたちは本題から全く外れていないと思います。

frederic a écrit:

私は「甘え」と言う概念に不快感を感じています。なぜかというと、「甘え」の定義が曖昧だからです。インターネットで「甘え」の概念が出っているテキストを探したら、たくさんありますが、テキストによる「甘え」の定義が違う気がするし、日本の社会問題、政治問題、家庭問題、個人問題の全てを説明できる魔法の言葉なの気がする。そういうわけで、できるだけ「甘え」と言う言葉を使わず、ブルーの質問に答えてみたいと思います。
勿論、ブルーさんの「甘え」の個人的な定義があったら教えて欲しい。
(・・・)
個人的な話に戻ると、上に書いたように私は日本社会構造を支えている「甘え」には不快感を感じています。そんな社会に入ると、自分の個性を殺さなければいけない気がするし、自由感を失っている気がするし、顔の無い上に従うのも嫌だし、人間関係で相手の真偽を糺すのは難しくなって、人を信用するのも難しくなる気もします。だからそんな社会に入ると必ず上の人として入りたいのです。 Laughing

そうでしょうね。不快でしょうねぇ。多くの外国人が生まれて初めて納豆を食べたときのような気持ちだと想像します。 Laughing

「甘え」の定義に移る前に、frederic先生( Wink )による解答④をつくってみましょう。貴重なご意見をありがとう。 Very Happy

    解答④日本的「甘え」の社会構造や人間関係には不快感を覚える。それはとりわけその上下関係において、ヨーロッパ人にとって非常に大切である個性や自由といった概念を覆そうとしているようにみえるからである。日本的「甘え」の構造に陥ったヨーロッパ人は、そこに生理的嫌悪感を感じると同時に、日本人との人間関係の構築の困難さを見出すのである。


それでは、定義に話題を移しますが、「甘え」を語るときに避けて通れないベストセラーの本があります。:[url=http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4335651066/qid=1088519570/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-5907179-6208233
]土井健郎『甘えの構造』[/url]です。


本書での定義は以下の通りです。

Citation:

・つきはなされてしまうことを否定し、接近欲求を含み、分離する感情を別のよりよい方法で解決しようとすること
・乳児がある程度発達して、母親が自分とは別の存在であることを知覚した後に、その母親を求めることを指していう言葉
・人間存在に本来つきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとすることである
・人間関係において相手の好意をあてにして振舞うこと


わたしの「甘え」についての定義もこれに類似しています。あえて自分の言葉で定義するなら、甘えとは人間関係の中で自分の立場を計算しながら、最大限の依存関係を他者から導き出そうとする行為です。

この定義を理解するために、他にはこれらの資料も役立ちそうです。
資料①『日本人の伝統的国民性:文献調査結果の詳細』
資料②『「菊と刀」以降の日本人論-その2-』 バーチャル研究室(三上俊治)
資料③『「甘え」はよいのか悪いのか』 東京大学大学院教授 船曳建夫 

上の資料から、いくつか興味深い例を引用しようと思います。(資料②より)
Citation:
日本民族は、何の苦労もなく育ってきた秀才のおぼっちゃんである。日本人にとって安全なのはあたりまえであった。「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる」。ああ、日本人は何と幸福な民族であったことだろう。

「あたりまえ」・・・って、日本人の口癖の代表的なものですね。 Laughing
Citation:
戦時の日本の、破産に瀕した会社を建て直した記録をみれば、すべて「(恩田)木工流」であるし、日本自体の復興の基本も、煎じ詰めれば、恩田木工の行き方にほかならない。木工をみなが賛嘆するのは、すべての人が支持する「基本的律法」にのっとっているはずだという考え方である。この基本的律法は何なのか。それは「人間相互の信頼関係の回復」ということなのだ。そのためにはまず自分の姿勢を正し、相手に対する絶対的信頼を披瀝する(低姿勢で)。この底には「人間とは、こうすれば、相手も必ずこうするものだ」という確固たる信仰が相互にある。ということは、「人間教ないしは経済教」ともいうべき一つの宗規が、意識されるにせよ、されないにせよ、「理外の理」として確立していることにほかならない。

つまり、日本式人間関係は、相手に親近感を持たせる工夫(例:礼儀、人情、敬語など)と相手と自分との差異を無視した仲間意識のおかげで、自然と形成されるものであって、相手が本当は誰なのか知る必要がない、つまりidentificationが不要なのである。
Citation:
日本人は、過去において、遊牧民とまったく接触せず、牧畜をいとなんだ経験の全くない、実に珍しい民族である。(その結果)日本人は家畜を「けがれたもの」と規定し、その処理に従事する人びとを「えたひにん」として差別した。(また)遊牧民的思考と牧畜民的行き方が全く欠如している。その一例としてあげられるのが、奴隷制度と宦官がなかったことであろう。(牧畜社会では)奴隷はあくまでも貴重な家畜として大切にされたにすぎない。近代になるとこのヒト家畜が国際商品となっている。(奴隷は)「人語を解する家畜」であった。(38-42ページ)

このような文化人類学的指摘は村上龍もよく使っています。日本独自の歴史や気候・地理的条件などが、日本人のメンタリティーの一部を生み出したという考えはわかりやすい例だと思います。

もう少し具体的な例も挙げてみます。(資料③より)
Citation:
大人になっても母への思い、甘えは残るし、さらに、この社会では、女が実質的にも精神的にも男を世話(ケア)する、ということが社会関係の底のところを下支えしてきた、ということがあるからだ。私は拙著『「日本人論」再考』(NHK出版)でそのことを論じたが、妻が夫を大きな子どもと呼んだり、バーの女主人がママと呼ばれているのはその一端である。この女が男をケアする制度が、その基盤において女の犠牲によって成り立っていることは明らかに問題である。この社会はその点で変わらなければならない。しかし、そうした「男性優位」の思考法は、男にとってだけではなく、女の考えをも律している価値観であるゆえ、一朝一夕に片づかない。
「甘え」による社会の安定を取るか、「甘え」のない個が自立した社会を取るか、と問題を単純化しても、安定の裏には依存と停滞があり、いわゆる「個の自立」にも、争いと孤独のリスクがあるから、答えの困難さは変わらない。ことに「甘え」は私たちのからだの中に入っているから、「甘えなき社会」と考えたら、それに耐えるのはよっぽど難しい。だから、私たちをこの進行しつつある変化の中で支えてくれるのは、甘えの代わりに何が来るのか、と想像することだけである。

このような日本の「甘え」の構造を目の前にして、ヨーロッパ人が日本人は個性を認めないとか個性をもっていないとか、反感や嫌悪感を感じるのはじゅうぶんに理解できます。しかし、日本人が「甘え」の中にある安定感や安心感を大切にする気持ちは、ヨーロッパ人が「個性」を大切にする気持ちとかわらず、そこにはまるで異なる生き方が遺伝子レベルでプログラミングされているかのように日本人とヨーロッパ人が異なるという事実を明白に示しているように思います。

frederic a écrit:
村上の小説に出ている「階級」と言う言葉は、私もブルーさんのように怪しいと思いましたが、もう一回考えてみると問題解決の一つの鍵かもしれません。「階級」は階級闘争とつながっているし、マルクスの思想とか、社会運動、社会構造と思い浮かばせる言葉です。村上龍はそのことをよく理解して、技と「階級」を書いたと思います。
(・・・)
ヨーロッパの場合に同じ単純化をすると個性と社会階級は別々として扱われています。
いわば、ヨーロッパ人の目から見ると日本社会は「個人」を侵略している社会構造であると思われます。その「侵略」は依存、弱さ、「階級をアピールする」のが不得手である事などの個人弱点を生み出します。
極一般的な話ですが、そういう解釈があると思います。ヨーロッパでは、人間関係で個性を求まれていて、日本では人間関係で、社会階級を通じて適当な態度を求まれています。レイコの言ったことの逆と思われますが、結局レイコの目から見ると、個性は階級による決められたものなので、レイコが個性を求められた時に、「階級」を求められていると解釈したのではないでしょうか。

わたしの解釈は少し違います。
村上龍があえて「階級」という言葉を用いたのは、ヨーロッパ人が階級闘争で求めてきたもの、あるいは獲得してきたもの、つまり個性や自由などを集約して使っているように思います。つまり日本語の「甘え」の対義語としての役割があるのです。
わたしを含めて日本人が「階級」という言葉に鈍感であるのは、やはりfredericさんがおっしゃったような「階級」をめぐる社会運動の本質が実感できない(教科書的理解)からであり、それはヨーロッパ人が「甘え」という言葉に不自然さを感じることと同じでしょう。(だから、翻訳をするのはきっと大変。 Confused

frederic a écrit:
一般的な話に戻ると、私の日本社会構造のイメージは、家族主義的な構造で、上に父がいて、下には子供がいます。父は権力をもって、子供の世話をしていますが、子供達は父に従って行動して、父に守られています。社会の面で見ると、階級は上の人(父役)と下の人(子供役)と言う風に分かれています。下の人は、上の人、先生、社長、政治家などのために自分の意見、個性を隠さなければいけない又は、場合による殺さなければいけない、しかしその代わり守られています。その親子関係から依存も生まれます。
しかし上の人から見ると、上の人の中で強い個性を持っている人がいるし、建前を使う必要が少なくなると思います。大省略して、単純化すると、日本の場合に個性は階級のレベルによる許されている、下にいたら、強い個性を許されていなくて、上にいたら個性は自由に見せれます。

しかし、fredericさんの日本社会に対する分析眼は鋭いですね!
基本的にはわたしの前のメッセージと同じ内容なので、賛成しますが最後の部分、「上にいたら個性は自由に見せられる」というのは必ずしもそうではないと思います。上にいる人も彼らの社会における人間関係の「不文律」に拘束されているし、たとえ自由があっても、その自由の使い方を知らないために、権利の濫用などの悪い結果がよくみられます。(セクハラとかね?)
結局、日本人って「自由」を求めても、「猫に小判」「ブタに真珠」「馬の耳に念仏」みたいに、もてあましてしまうのでしょうか。 Question

結論としてここには日本人とヨーロッパ人のアイデンティティーの確立の仕方の違いに原因があるような気がしてなりません。ElieDeLeuzeさんが別のスレでそのことについて言及されていましたが、読み返してみて「なるほど」と思います。
(【註】赤=日本人式「甘え」の社会構造、青=ヨーロッパ的「階級」と「個人主義」)
ElieDeLeuze a écrit:

だからこそ、西欧人の異性愛者は、断片化され、区分化され、明瞭化された方法で、自己の属する西欧社会文化の中において、個人のアイデンティティー形成の要素を得るのです。そして、このアイデンティティーにおけるアイデンティティーとイメージの最終段階で社会が期待しているその人物でいるために、一人の異性愛者は、それが男性であれ、女性であれ、両極性を持っていると見なされるわけなのです。つまり、西欧人についての一般的文化アイデンティティーの模範というものはなく、またそのアイデンティティーの形成は各人の経験とその周囲の社会文化的環境からの反応に呼応する反応に従った断続的な積み重ねによってなされるのです。この個人主義は、完全なあるいは部分的な他性に、そして自己同一性の全ての関係の体系化された疑問と存在しうる疎外感の感情を担う尋問に鋭い敏感さを帰納された西欧人のアイデンティティー上の経験に基づいています。ですから、すべての西欧人はその点に敏感であり、この疎外感の感情に訴えかける芸術表現の中に自己を再発見するのです。
car la culture sociale occidentale à laquelle il appartient lui donne des ingrédients constitutifs de l'identité individuelle de façon fragmentée, compartimentée, éclatée. Un hétéro, homme ou femme d'ailleurs, est censé être tout et son contraire pour être celui/celle que la société attent en terme d'identité et d'image de cette identité. Il n'y a pas d'archétype culturel identitaire global pour un Européen, et la construction de l'identité se fait par briques successives au gré de son expérience et de ses réactions propres aux réaction de son entourage socio-culturel. Cet individualisme inhérent à l'expérience identitaire européenne induit une sensibilité aiguë à l'altérité totale ou partielle, en ce qu'il promeut le questionement systématique de toute relation d'identification, interrogation porteuse du sentiment d'aliénation possible. Tout Européen y est sensible et se reconnaît dans des expressions artistiques qui font appel à ce sentiment d'aliénation.

ElieDeLeuze a écrit:

僕の論点の重要な点は、西欧人と日本人が同じ方法で自分たちのアイデンティティーを構築していないということです。つまり、日本人は自分の居場所であるグループから保護されたアイデンティティーの釈明を取り戻し、その後で統一性の体面の裏側で個々にに自分たちが誰なのかを問うのです。それに対し、西欧人は自分自身の善意によって活発に自分たちが誰なのかを問い、多様な答えの要素を取りながら、社会的・文化的アイデンティティーを構築するのです。L'idée, c'est que les Européens et les Japonais ne construisent pas leur identité de la même façon. Les Japonais reprennent à leur compte l'identité tutellaire du groupe dans lequel ils se trouvent être, et se pose la question de qui ils sont individuellement après, derrière les apparances d'uniformité - alors que les Européens construisent leur identité sociale et culturelle en se posant activement la question de qui ils sont, en prenant des éléments de réponses à droite et à gauche, selon leur bon vouloir.


最後に、質問④を発展させておわりにします。
たとえば、サラリーマンがスナックやバーに行く、という例がありましたが、ヨーロッパ人はそういう「甘え」の社会構造の中の「癒し」の機能ついても不快感を覚えますか。
また、たとえば、日本人の女友達にヨーロッパ人が心理的な面で助けを求める場合、彼女はヨーロッパ人の女性と異なる対応をすると思いますか。

長くなってすみませんでした。 Embarassed
ご返答を楽しみにしています。
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frederic
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MessagePosté le: 30 Juin 2004 03:43    Sujet du message: 続き

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Bluemondayさん、
また長い返事ありがとう。全部読んだら頭痛になりそうとでした。 Wink
文句だと思わないでください、逆にいい刺激でした。ElieDeLeuzeのメセージにも興味深かったです。

ブルーさんは次の質問をしました:
①-たとえば、サラリーマンがスナックやバーに行く、という例がありましたが、ヨーロッパ人はそういう「甘え」の社会構造の中の「癒し」の機能ついても不快感を覚えますか。

私の個人的な答え:
「癒し」はスナックとかバーで求めるより、最初に彼女に求めて、だめだったら友達や親友に求めます。スナックの場合に「癒し」にならないと思います。お酒を飲んで、個人話をしても、相手は心配の種の解決方法を出さないし、自分の財布ばっかりを狙っている気がします。バーでも、オーナは友人だったらを別として、同じ商売関係があるから、不快感をかんじます。バーでもスナックでも「店」だから、その場で作る人間関係はお金のせいで歪んでいる、いわばそんな場所で信用関係を作ると言うより「情を買う」気がします。私にとっては、スナックは女と遊べる場所で、バーは友達と行って酒を飲みながら楽しく話し合える場所です。リラクスするための店ですが、「癒し」を見つけることができると思いません。

②-また、たとえば、日本人の女友達にヨーロッパ人が心理的な面で助けを求める場合、彼女はヨーロッパ人の女性と異なる対応をすると思いますか。

私の個人的な答え:
一般的な話しをすると、日本人の対応とヨーロッパ人の対応が必ず違うと思います。文化の違いもあり、考え方、経験の違いもあるからです。しかしどんな対応の方が有利であるか、全く判断できません。同じ文化の人だったら、相手の精神状態をもっと理解できるかもしれませんが、異文化の人だったら、今まで考えていなかった、又は全く新しい面から異文化の相手の問題を分析できるし、独特な助け方ができます。

上記の答えと関係なく、個人的な話しですが、日本の精神学の世界に迷信とか怪しい考え方がたくさんある気がします。フランスで変な日本人の心理学者が遭ったから、その意見の一つの理由かもしれません。

本題に戻るとブルーさんの「階級」の解釈の方がは村上の意向に近いかもしれません。
「甘え」に対しては、ブルーさんを引用した文章とブルーさん自身の定義を読んでも不快感が消えていません。今でも私にとっては「甘え」は流行語で人を迷わせる概念だと思います。日本のアイデンティティ、社会構造とつなげているが、政治的な分析を逃すため、話を逸らされる役割を果たしている概念だと思います。「甘え」の実存を否定していませんが、「甘え」は日本における問題又は疑問の原因ではなく、症状に過ぎないと思います。この症状の原因は歴史と政治にあると思います。
例えば、60年代に日本で起きた大幅な社会運動と政治問題は、一面では、日本社会の家族主義制度と矛盾していますし、もう一つの面では固定した日本社会のイメージと全く異なる出来事で、日本の庶民の本質をよく代表していると思います。
日本人のアイデンティティを、地理、天候などに探すより、近代政治と教育の分析と理解を通じて追求した方が有効だと思います。

私はその戦後から60年代までに日本で起きた「混乱」と生まれた文化ブームについて研究し始めたばかりですが、うまく行ったら、来年に論文を出すつもりです。
まだその時期について情報と知識は不十分ですが、その時代の作品が大好きで、とても興味深いです。

本題と少しずれたが、言いたいのは、ブルーさんが掘り出した問題は私にとって戦後の日本の政治と現代社会構造の誕生と強くつながっていると思います。政治は日本の全てを説明できると言いませんが、一番深い、根本的な材料だと思います。政治を言うと政党だけではなく、政府又は、変化に対する日本の庶民の態度も含まれています。
結局「甘え」を生み出したのは、日本の場合に遺伝子なのか、庶民なのか、地理なのか、歴史なのか、権力者なのか、政治なのか、と言う質問になってしまいます。また状況を分析するより、原因を追求した方が有効で楽しいかもしれません。

本題とずれたかな? Embarassed

まあ、本題に戻れるように、また分りやすい質問してください。 Wink

よろしく。
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Bluemonday
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MessagePosté le: 30 Juin 2004 23:44    Sujet du message: Re: 続き

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frederic a écrit:
Bluemondayさん、
また長い返事ありがとう。全部読んだら頭痛になりそうとでした。 Wink

ごめんね。 Laughing Laughing Laughing

frederic a écrit:
ブルーさんは次の質問をしました:
①-たとえば、サラリーマンがスナックやバーに行く、という例がありましたが、ヨーロッパ人はそういう「甘え」の社会構造の中の「癒し」の機能ついても不快感を覚えますか。

私の個人的な答え:
「癒し」はスナックとかバーで求めるより、最初に彼女に求めて、だめだったら友達や親友に求めます。スナックの場合に「癒し」にはならないと思います。(・・・)バーでもスナックでも「店」だから、その場で作る人間関係はお金のせいで歪んでいる、いわばそんな場所で信用関係を作ると言うより「情を買う」気がします。(・・・)リラクスするための店ですが、「癒し」を見つけることができると思いません。

とてもヨーロッパ的考えだと思います。
日本人にとって「バー」や「スナック」へ行くことは一種の気晴らし(リラックス)のためでもありますが、その真意は「癒し」を求めることと表裏一体しています。fredericさんのいうように、たしかにそれは見せかけだけで、それ自体は実質的な「癒し」はならないのだけれども、このような風俗業の世界には、ヨーロッパ的なドライで割り切った人間関係と全く逆のウェットで非合理的な人間関係を疑似体験できます。その疑似体験の中で、「甘え」の人間関係での長所だけを利用して楽しもうとするのが、この種の業界が成り立つ理由だと思います。つまり、「甘え」の構造は、母性的な無限の優しさと、その信頼を決して裏切ることが許されないという厳しい父性的不文律によって支えられていますので、上下関係が厳しい仕事社会の反動として、風俗業という逃げ道が必要になるのです。
このことを日本のウチ・ソトの考えと比較するのも良いかもしれません。つまり、そのお店に入った時点で(お金を払うということも含めて)、店にとって客は「ウチ」の人になると言えます。「ウチ」の人間の中にも「常連さん」と「一見(いちげん)さん」の分類がありますが、だれでも「ウチ」の人間になれる可能性が与えられるのです。
一方で、きっとヨーロッパ人の女性にとっては、こうした風俗業に従事することはとても難しいと思います。また、ヨーロッパ人の男性も知らない女性にお店で何を話していいかわからないと思います。ヨーロッパでは男性は目的や理由なしに見知らぬ女性と話をすることはとても非現実的で非合理なことだと思うでしょう。

frederic a écrit:

②-また、たとえば、日本人の女友達にヨーロッパ人が心理的な面で助けを求める場合、彼女はヨーロッパ人の女性と異なる対応をすると思いますか。

私の個人的な答え:
一般的な話しをすると、日本人の対応とヨーロッパ人の対応が必ず違うと思います。文化の違いもあり、考え方、経験の違いもあるからです。しかしどんな対応の方が有利であるか、全く判断できません。同じ文化の人だったら、相手の精神状態をもっと理解できるかもしれませんが、異文化の人だったら、今まで考えていなかった、又は全く新しい面から異文化の相手の問題を分析できるし、独特な助け方ができます。

文化が異なることがわかっていても、実際の人間関係ではその知識を上手に利用することは難しいです。お互いに新しいことを教えあったり、新しい考えを吸収することができる関係では、異文化理解は良い結果をもたらしますが、たとえば恋愛関係や友情関係でお互いの思考の流れや文化の違いによる典型的反応の仕方を冷静に分析できないとき、喧嘩や離別が避けられないと思うのです。(それは残念なことです。 Sad

frederic a écrit:
フランスで変な日本人の心理学者が遭ったから、その意見の一つの理由かもしれません。

「フランスで変な日本人の心理学者が遭ったから」の意味がよくわかりません。説明してくれますか。 Question

frederic a écrit:

「甘え」に対しては、ブルーさんを引用した文章とブルーさん自身の定義を読んでも不快感が消えていません。今でも私にとっては「甘え」は流行語で人を迷わせる概念だと思います。日本のアイデンティティ、社会構造とつなげているが、政治的な分析を逃すため、話を逸らされる役割を果たしている概念だと思います。「甘え」の実存を否定していませんが、「甘え」は日本における問題又は疑問の原因ではなく、症状に過ぎないと思います。この症状の原因は歴史と政治にあると思います。

定義を読んで不快感があるのは、「甘え」という翻訳不可能な語と概念をヨーロッパ人として不自然に思い、頭がそれを受け入れたがらないからだと思います。(それで頭がいたくなったかも Razz
その他の部分では、fredericさんの考えに賛成です。
「甘え」に全てを関係付けて、それを社会の諸問題の原因(=元凶あるいは諸悪の根源)とするのは短絡的で、様々な誤解を生む元になるでしょう。(まさにそれこそが『甘えの構造』と『菊と刀』の解釈をめぐる論争のテーマです。)
また、これからの日本人の課題はこの「甘え」のメンタリティーといかに上手に付き合いながら生きていくかということ、特に海外で生活するならば、どうやって「甘え」を自己調節しながら、外国の社会と共存していくかという点だと思います。

frederic a écrit:
例えば、60年代に日本で起きた大幅な社会運動と政治問題は、一面では、日本社会の家族主義制度と矛盾していますし、もう一つの面では固定した日本社会のイメージと全く異なる出来事で、日本の庶民の本質をよく代表していると思います。日本人のアイデンティティを、地理、天候などに探すより、近代政治と教育の分析と理解を通じて追求した方が有効だと思います。(・・・)
結局「甘え」を生み出したのは、日本の場合に遺伝子なのか、庶民なのか、地理なのか、歴史なのか、権力者なのか、政治なのか、と言う質問になってしまいます。また状況を分析するより、原因を追求した方が有効で楽しいかもしれません。

イデオロギーで生きたり死んだりできたその時代(60年代)は今の日本と違っていましたが、結局それは日本に根付かず、逆にその後それに対する不満が出ました。歴史は突然変異や自然発生するものではないと思うので、入手できる限りの資料で、政治的、民俗学的、考古学的などあらゆる学問の見地から再考されるのが最も理想的だと思います。

frederic a écrit:
私はその戦後から60年代までに日本で起きた「混乱」と生まれた文化ブームについて研究し始めたばかりですが、うまく行ったら、来年に論文を出すつもりです。まだその時期について情報と知識は不十分ですが、その時代の作品が大好きで、とても興味深いです。

論文がんばってください。
よろしかったらfredericさんの論文について別の機会に詳しく教えて下さい。
日本文学史の流れで、fredericさんの研究に少し役立つかもしれないサイトを見つけました。
日本文学早わかり(1)~(3)
ここから次のお題を出すかもしれません。 Wink

frederic a écrit:

本題とずれたかな? Embarassed
まあ、本題に戻れるように、また分りやすい質問してください。 Wink
よろしく。

わたしの質問に対してじゅうぶんな解答をしてくださったと思います。
fredericさんの忍耐強さに大変感謝しています。
こちらこそ、今後もよろしくお願いします。 Very Happy
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MessagePosté le: 04 Juil 2004 23:52    Sujet du message: 短い返事

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最初に質問がありますが、「ヨーロッパ人に質問2」と言う題を付けたトピックはなぜ消えたのですか。文字化けしていたけれど、簡単に直せるものなので、削除する必要が無かったと思いますが。

Bluemondayさんは、
「ヨーロッパでは男性は目的や理由なしに見知らぬ女性と話をすることはとても非現実的で非合理なことだと思うでしょう。」と書きました。

ヨーロッパ人でも、日本人でも同じだと思いますが。例えばスナックなどに行く日本人は、「癒し」などを目的としてスナックにいる女性と話をするのではないですか。スナックで働いている女性の仕事の一つは聞く事と客を反発しないことでしょう。スナックに行く客は、「素直」な女性と話せるためにお金も使っているでしょう。目的や理由なしに見知らぬ女性と話すのと少し違うのではないでしょうか。


私の前のメセージに:
「フランスで変な日本人の心理学者が遭ったから、その意見の一つの理由かもしれません。」と書きましたが、言語の交換で日本人の心理学者に会って、この人と話せば、話すほど「本当に心理学者か」と言う疑問が私の心の中で生まれました。
この心理学者は「日本人同士では喋らず相手の気持ちが分るから、患者と話すのは大事なことではない。話すなら、患者の言うことを聞くだけで十分です。」などの発言をしたから、私にとっては怪しい心理学者でした。
私は日本の心理学界に詳しくないけれど、経験上では、場合により患者よりも心理学者のほうがおかしくないかと思うぐらい「変な世界だ」の気がします。少し過激な発言ですが、今まで会った日本人の心理学者(5人ぐらい)の中で「心理学者らしい」人が一人もいませんでした。偏見かもしれませんが、日本で精神病はどういう風に扱われているのかについて情報があったら教えてください。

最後に、60年代の研究は始まったばかりなのでまだその時代について何もいえません。「この時代が好き」以外でね Wink 。研究進めば、進むほど、質問が出るとおもうので、その時に必ず、このForumに参加している皆に意見を聞くつもりです。

少しあやふやなメセージですみません。
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MessagePosté le: 05 Juil 2004 00:28    Sujet du message: Re: 短い返事

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frederic a écrit:
最初に質問がありますが、「ヨーロッパ人に質問2」と言う題を付けたトピックはなぜ消えたのですか。文字化けしていたけれど、簡単に直せるものなので、削除する必要が無かったと思いますが。

わたしの知らないうちに起こったことで、他のModo達に聞いていますが、まだ犯人が自首してきていません。 Rolling Eyes 個人的には、せっかく参加者が書いてくれたものが失われて、その理由や説明がないことに憤りを感じています。 Evil or Very Mad
前回も別のスレが誤って削除されてしまったばかりのときに、このようなミスがまた起こったのだとしたら、Modo達の間で編集の権限を持つ人を制限しなければならないかもしれないと、個人的な意見ですが、本当にそう思います。
とりあえず、わたしは削除していませんので、返答待ちということでお許しください。 courbette

EDIT:犯人が見つかりました。(笑) Cool Razz
ryocoさん本人が削除したそうです。
ご本人の意向で削除したメッセージを再び載せてくれたので、ryocoさんに返信をしたかった方は、どうぞ続けて下さい。
読者、関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことを心よりお詫び申し上げます。
courbette

frederic a écrit:
Bluemondayさんは、
「ヨーロッパでは男性は目的や理由なしに見知らぬ女性と話をすることはとても非現実的で非合理なことだと思うでしょう。」と書きました。

ヨーロッパ人でも、日本人でも同じだと思いますが。例えばスナックなどに行く日本人は、「癒し」などを目的としてスナックにいる女性と話をするのではないですか。スナックで働いている女性の仕事の一つは聞く事と客を反発しないことでしょう。スナックに行く客は、「素直」な女性と話せるためにお金も使っているでしょう。目的や理由なしに見知らぬ女性と話すのと少し違うのではないでしょうか。

わたしの設問の仕方が悪かったです。ごめんなさい。 Embarassed
この質問は、ヨーロッパ人がスナックなどに行ったとしたら、ヨーロッパ人は何をお店の人と話すかわからなくて困るのではないですか Question という意味でした。


frederic a écrit:
私の前のメセージに:
「フランスで変な日本人の心理学者が遭ったから、その意見の一つの理由かもしれません。」と書きましたが、言語の交換で日本人の心理学者に会って、この人と話せば、話すほど「本当に心理学者か」と言う疑問が私の心の中で生まれました。
この心理学者は「日本人同士では喋らず相手の気持ちが分るから、患者と話すのは大事なことではない。話すなら、患者の言うことを聞くだけで十分です。」などの発言をしたから、私にとっては怪しい心理学者でした。
私は日本の心理学界に詳しくないけれど、経験上では、場合により患者よりも心理学者のほうがおかしくないかと思うぐらい「変な世界だ」の気がします。少し過激な発言ですが、今まで会った日本人の心理学者(5人ぐらい)の中で「心理学者らしい」人が一人もいませんでした。偏見かもしれませんが、日本で精神病はどういう風に扱われているのかについて情報があったら教えてください。

たぶん、その心理学者は「以心伝心」のことを言いたいのだと思いますが、それが患者さんへの治療に使われているなら驚きです。 Shocked
心療科の治療ではおそらく患者に話させることが、治療の中で大事なことはわかりますが、「以心伝心」自体は、両者の関係でお互いが何も言わなくてもわかる、一種のテレパシーのようなものを意味するので、「患者に話させて自分は聞くだけです」というこの心理学者の説明にはあてはまりません。彼の日本語の間違いだと思います。

日本の精神病治療に関しては、別のスレを立ててもらえますか。 Question
できれば、具体的な質問事項や経験談を盛り込んで下さるとうれしいです。
(注文が多くてごめんなさい。 Embarassed


frederic a écrit:
最後に、60年代の研究は始まったばかりなのでまだその時代について何もいえません。「この時代が好き」以外でね Wink 。研究進めば、進むほど、質問が出るとおもうので、その時に必ず、このForumに参加している皆に意見を聞くつもりです。

もちろん、これからのfredericさんの投稿を楽しみにしています。 Very Happy
質問の他にも、fredericさんが好きな「60年代」に対する情熱を語って下さっても大歓迎です。
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Dernière édition par Bluemonday le 05 Juil 2004 16:49; édité 2 fois
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MessagePosté le: 05 Juil 2004 10:47    Sujet du message:

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ごめんなさい。
『ヨーロッパ人に質問2』の発言者はわたしだったんですが。 Embarassed
自分自身投稿した後で何度か読み返していたら、なんだかいいたかった事と設問がずれているような気がして・・・。
ここでの発言はみんな真剣に答えを返してくれるので、
なんだか自分の意見が曲がってとらわれていくのはみすみす見逃せなくなってしまい、自分自身での削除を行いました。 Sad

心配かけてごめんなさいね。 Crying or Very sad

わたしが投稿したのは以下の文面でした。

-----------------------------------

どうもはじめまして。名古屋からの参加です。
今までしり込みしてしまって、なかなか投稿できないでいたんですが・・・
ようやく勇気を振り絞ってみました

さて、前回のブルーさんの『ヨーロッパ人に質問』に参加しようかどうしようか迷ったトピックなのですが・・・。
話から大きくそれてしまいそうなので敢えてこちらに新設させていただきました

Citation:
何人かの男、---中略---わたしが、たった一人のわたしを自分で規定することを要求した。それ以外には自分はないという唯一の自分---お互いを知り合う中で強制してきた。




私にはやはり『甘え』という概念が薄いのかもしれませんね。
『人間関係』、特に愛する人が『甘えられる存在』だという事は絶対的に不可欠な要素だと私は個人的に思うのですが。それは日本人だけでは必ずしもない感情だと思っていましたが、大きな間違いでしょうか?

以前、こんな指摘を受けた事がありました。

『友達とみんなで食事をしている時、二人きりでの会話の時、ホテルのフロントマンに対応している時、恋人に問いかける時、いろいろな君がいるね。』

その時の会話がブルーさんの質問と共通していたように感じたのです。

TPOにあわせての会話。極自然な事だと認識していたのですが・・・・。これっておかしいのかしら? Rolling Eyes
人によって人格を代えているつもりもないですし(そんなに器用な方ではないので・・・ )

これがまさにヨーロッパ人の求めたがる唯一の人格がそこになかったからなのでしょうか?
全てが私であることに間違いはないのですが・・・。

日本人の意見、ヨーロッパの方の意見。いろいろ聞いてみたいなって思います。

-----------------------------------


大きく話題からそれていますので、やはりこちらに乗せるべきではないでしょうが、あえて新設するのもちょっと嫌だったので・・・・。 Wink

つまり相手の立場に合わせて会話をするということが唯一の自分ではなくなっているの?ということなんですが・・・・。
なんか、そんなことないよな。。。って自己解決してしまったんですよね。
おかしなこと言ってるな?あたし??って。ふふふ。 Embarassed

それではお騒がせして本当に申し訳ございませんでした。これからも懲りずに投稿させていただきます Very Happy
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