yumie 6eme Dan
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Posté le: 09 Sep 2009 04:03 Sujet du message: 舞踏会
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今日、9月9日は重陽の節句です。陽の数(奇数)が重なるため重陽と言われます。菊の節句とも言われます。平安時代には菊の酒を飲み交わし、菊花の宴が催されていたようです。
夏の花火と秋の菊で思い出すのは、芥川龍之介の「舞踏会」という小説です。『お菊夫人』の作者であるフランス人ピエール・ロティが鹿鳴館の舞踏会で明子と出会わすという設定で、私の大好きな小説の1つです。少し難しいところがあるかもしれませんが時間のある方は挑戦してみてください。
(読みやすいように原文のかなづかい、漢字等に勝手に直しました。)
舞踏会(ぶとうかい)
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
一
明治19年11月3日の夜であつた。当時17歳だつた─ 家の令嬢明子(あきこ)は、頭の禿(は)げた父親と一緒に、今夜の舞踏会が催(もよお)されるべき鹿鳴館(ろくめいくあん)の階段を上って行った。明るい瓦斯(ガス)の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、ほとんど人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬(まがき)を造っていた。菊は一番奥のがうす紅(べに)、中程のが濃い黄色、一番前のがまっ白な花びらをふさの如く乱しているのであった。そうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑え難い幸福の吐息(といき)のように、休みなく溢(あふ)れて来るのであった。
明子はつとに仏蘭西(フランス)語と舞踏との教育を受けていた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであった。だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、上(うわ)の空の返事ばかり与えていた。それ程彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もちが根を張つていたのであった。彼女は馬車が鹿鳴館の前に止まるまで、何度いら立たしい眼を挙げて、窓の外に流れて行く東京の町の乏(とぼ)しい燈火(ともしび)を、見つめた事だか知れなかった。
が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるやうな事件に遭遇した。というのは階段の丁度中程まで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆(あき)れたやうな視線を明子へ投げた。初々(ういうい)しい薔薇色の舞踏服、品好く頸(くび)へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花 ― 実際その夜の明子の姿は、この長い弁髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾(いかん)なく具(そな)えていたのであった。と思うと又階段を急ぎ足に下りて来た、若い燕尾服(えんびふく)の日本人も、途中で二人にすれ違いながら、反射的にちょいと振り返って、やはり呆(あき)れたような一瞥(いちべつ)を明子の後姿に浴(あ)びせかけた。それからなぜか思いついたように、白いネクタイへ手をやって見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行った。
二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬鬚(ほほひげ)を蓄(たくわ)えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章(くんしょう)を帯びて、ルイ15世式の装いを凝(こ)らした年上の伯爵夫人と一しよに、大様(おおよう)に客を迎えていた。明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(らうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来(きょらい)したのを見のがさなかつた。人の好い明子の父親は、嬉(うれ)しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短(てみじか)に娘を紹介した。彼女は羞恥(しゅうち)と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。
舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れていた。そうして又至る所に、相手を待っている婦人たちのレースや花や象牙(ぞうげ)の扇が、爽かな香水の匂いの中に、音のない波の如く動いていた。明子はすぐに父親と別れて、その綺羅(きら)びやかな婦人たちの或一団と一緒になつた。それは皆同じような水色や薔薇色の舞踏服を着た、同年輩(どうねんぱい)らしい少女であつた。彼等は彼女を迎えると、小鳥のようにさざめき立って、口々に今夜の彼女の姿が美しい事を褒(ほ)め立てたりした。
が、彼女がその仲間へはいるや否や、見知らない仏蘭西(フランス)の海軍将校が、どこからか静かに歩み寄った。そうして両腕を垂れたまま、丁寧(ていねい)に日本風の会釈(えしゃく)をした。明子はかすかながら血の色が、頬(ほお)に上って来るのを意識した。しかしその会釈が何を意味するかは、問うまでもなく明らかだった。だから彼女は手にしていた扇を預かって貰うべく、隣に立っている水色の舞踏服の令嬢をふり返った。と同時に意外にも、その仏蘭西の海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮べながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はっきりと彼女にこう言った。
「一しよに踊っては下さいませんか。」
間もなく明子は、その仏蘭西の海軍将校と、「美しく青きダニゥヴ」のヴァルスを踊っていた。相手の将校は、頬の日に焼けた、眼鼻立ちの鮮(あざや)かな、濃い口髭のある男であつた。彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋を嵌(は)めた手を預くべく、余りに背が低かった。が、場馴れている海軍将校は、巧みに彼女をあしらって、軽々と群集の中を舞い歩いた。そうして時々彼女の耳に、愛想の好い仏蘭西語の御世辞さえも囁(ささや)いた。
彼女はその優しい言葉に、恥ずかしそうな微笑を酬いながら、時々彼等が踊っている舞踏室の周囲へ眼を投げた。皇室の御紋章を染め抜いた紫縮緬(ちりめん)の幔幕(まんまく)や、爪を張った蒼竜(そうりゅう)が身をうねらせている支那の国旗の下には、花瓶々々の菊の花が、或いは軽快な銀色を、或いは陰欝(いんうつ)な金色を、人波の間にちらつかせていた。しかもその人波は、三鞭酒(シャンパーニュ)のように湧き立って来る、花々しい独逸(ドイツ)管絃楽の旋律の風に煽(あお)られて、暫(しばら)くも目まぐるしい動揺を止めなかった。明子はやはり踊っている友達の一人と眼を合わすと、互いに愉快そうな頷(うなず)きを忙しい中に送り合った。が、その瞬間には、もう違った踊り手が、まるで大きな蛾(が)が狂うように、どこからかそこへ現われていた。
しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意しているのを知っていた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、いかに彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があったかを語るものであつた。こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如(ごと)く住んでいるのであろうか。そうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挾(はさ)んで食べているのであろうか。― 彼の眼の中にはこういう疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するようであった。明子にはそれが可笑(おか)しくもあれば、同時に又誇らしくもあった。だから彼女の華奢(きゃしゃ)な薔薇色の踊り靴は、物珍しそうな相手の視線が折々足もとへ落ちる度に、一層身軽く滑(なめ)らかな床の上を滑(すべ)つて行くのであった。
が、やがて相手の将校は、この児猫のような令嬢の疲れたらしいのに気がついたと見えて、いたわるように顔を覗きこみながら、
「もっと続けて踊りましょうか。」
「ノン・メルシイ。」
明子は息をはずませながら、今度ははっきりとこう答えた。
するとその仏蘭西の海軍将校は、まだヴアルスの歩みを続けながら、前後左右に動いているレースや花の波を縫って、壁側(かべぎわ)の花瓶の菊の方へ、悠々(ゆうゆう)と彼女を連れて行った。そうして最後の一廻転の後、其処にあつた椅子の上へ、鮮(あざやか)に彼女を掛けさせると、自分は一旦軍服の胸を張って、それから又前のように恭(うやうや)しく日本風の会釈をした。
その後又ポルカやマズユルカを踊ってから、明子はこの仏蘭西の海軍将校と腕を組んで、白と黄とうす紅と三重の菊の籬(まがき)の間を、階下の広い部屋へ下りて行った。
此処には燕尾服や白い肩がしつきりなく去来する中に、銀や硝子(ガラス)の食器類に蔽(おお)われた幾つかの食卓が、或は肉と松露(しようろ)との山を盛り上げたり、或はサンドウィッチとアイスクリイムとの塔を聳(そばだ)てたり、或は又柘榴(ざくろ)と無花果(いちじく)との三角塔を築いたりしていた。殊(こと)に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧みな人工の葡萄蔓(ぶどうつる)が青々とからみついている、美しい金色の格子があった。そうしてその葡萄の葉の間には、蜂の巣のような葡萄の房が、累々(るいるい)と紫に下っていた。明子はその金色の格子の前に、頭の禿げた彼女の父親が、同年輩の紳士と並んで、葉巻を啣(くわ)えているのに遇った。父親は明子の姿を見ると、満足そうにちょいと頷(うなず)いたが、それぎり連れの方を向いて、又葉巻を燻(くゆ)らせ始めた。
仏蘭西の海軍将校は、明子と食卓の一つへ行って、一しよにアイスクリイムの匙(さじ)を取った。彼女はその間も相手の眼が、折々彼女の手や髪や水色のリボンを掛けた頸(くび)へ注がれているのに気がついた。それは勿論(もちろん)彼女にとって、不快な事でも何でもなかった。が、ある刹那(せつな)には女らしい疑いも閃(ひらめ)かずにはいられなかった。そこで黒い天鵞絨(ビロード)の胸に赤い椿の花をつけた、独逸(ドイツ)人らしい若い女が二人の傍(そば)を通った時、彼女はこの疑いを仄(ほの)めかせる為に、こういう感歎(かんたん)の言葉を発明した。
「西洋の女の方はほんとうにお美しゅうございますこと。」
海軍将校はこの言葉を聞くと、思いの外(ほか)真面目に首を振った。
「日本の女の方も美しいです。殊(こと)にあなたなぞは――」
「そんな事はこざいませんわ。」
「いえ、お世辞ではありません。そのまますぐに巴里(パリ)の舞踏会へも出られます。そうしたら皆が驚くでしょう。ワツトオの画の中のお姫様のようですから。」
明子はワツトオを知らなかった。だから海軍将校の言葉が呼び起こした、美しい過去の幻も ― 仄暗(ほのぐら)い森の噴水と凋(すが)れて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残りなく消え失せてしまわなければならなかった。が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、僅(わず)かにもう一つ残っている話題に縋(すが)る事を忘れなかつた。
「私も巴里の舞踏会へ参って見とうございますわ。」
「いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。」
海軍将校はこう言いながら、二人の食卓を繞(めぐ)っている人波と菊の花とを見廻したが、忽(たちま)ち皮肉な微笑の波が瞳(ひとみ)の底に動いたと思うと、アイスクリイムの匙を止めて、
「巴里ばかりではありません。舞踏会はどこでも同じ事です。」と半ば独り語のようにつけ加えた。
一時間の後、明子と仏蘭西(フランス)の海軍将校とは、やはり腕を組んだ儘、大勢の日本人や外国人と一緒に、舞踏室の外にある星月夜の露台に佇(たたず)んでいた。
欄干(らんかん)一つ隔(へだ)てた露台の向うには、広い庭園を埋めた針葉樹が、ひっそりと枝を交わし合つて、その梢(こずえ)に点々と鬼灯提燈(ほほづきぢょうちん)の火を透(す)かしていた。しかも冷やかな空気の底には、下の庭園から上って来る苔の匂いや落葉の匂いが、かすかに寂しい秋の呼吸を漂(ただよ)わせているようであった。が、すぐ後の舞踏室では、やはりレースや花の波が、十六菊を染め抜いた紫縮緬(ちりめん)の幕の下に、休みない動揺を続けていた。そうして又調子の高い管絃楽のつむじ風が、相変わらずその人間の海の上へ、容赦(ようしゃ)もなく鞭を加えていた。
勿論この露台の上からも、絶えず賑(にぎ)やかな話し声や笑い声が夜気を揺(ゆす)っていた。まして暗い針葉樹の空に美しい花火が揚る時には、殆(ほと)んど人どよめきにも近い音が、一同の口から洩(も)れた事もあった。その中に交って立っていた明子も、其処にいた懇意(こんい)の令嬢たちとは、さっきから気軽な雑談を交換していた。が、やがて気がついて見ると、あの仏蘭西の海軍将校は、明子に腕を借した儘、庭園の上の星月夜へ黙然(もくねん)と眼を注(そそ)いでいた。彼女にはそれが何となく、郷愁でも感じているように見えた。そこで明子は彼の顔をそっと下から覗(のぞ)きこんで、
「お国の事を思っていらっしゃるのでしょう。」と半ば甘えるように尋ねて見た。
すると海軍将校は相変わらず微笑を含んだ眼で、静かに明子の方へ振り返った。そうして「ノン」と答える代りに、子供のように首を振って見せた。
「でも何か考えていらっしゃるようでございますわ。」
「何だか当てて御覧なさい。」
その時露台に集っていた人々の間には、又一しきり風のようなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは言い合わせたように話をやめて、庭園の針葉樹を圧している夜空の方へ眼をやった。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手(くもで)に闇を弾(はじ)きながら、まさに消えようとする所であつた。明子にはなぜかその花火が、殆(ほと)んど悲しい気を起こさせる程それ程美しく思われた。
「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴイ)のやうな花火の事を。」
しばらくして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教えるやうな調子でこう言った。
二
大正7年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴(おもむ)く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一緒になった。青年はその時編棚(あみだな)の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子 ― 今のH老夫人は、菊の花を見る度に思い出す話があると言って、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思い出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からこういう思い出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはいられなかつた。
その話が終わった時、青年はH老夫人に何気なくこういう質問をした。
「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」
するとH老夫人は思いがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有(おっしゃ)る方でございました。」
「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議そうに青年の顔を見ながら何度もこう呟(つぶや)くばかりであつた。
「いえ、ロテイと仰有(おっしゃ)る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」
(大正八年十二月) _________________ Auriez-vous la gentillesse de corriger les fautes que je fais ? |
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