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Bluemonday 4eme Dan
Inscrit le: 23 Mar 2004 Messages: 394 Points: 10765 Pays, Ville: Nishinomiya, Hyogo, Japan
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Posté le: 20 Mai 2004 13:20 Sujet du message:
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fredericさんの意見はとても参考になります。
たしかに、fredericさんとわたしの考えに「西欧的的」姿勢と「アジア的」姿勢の差がみられるかもしれません。しかし、fredericさんのいう「一般」の概念を話すときに、文化、歴史、宗教といった流れや、わたしたちが受けてきた教育について、よく復習する必要があります。なぜなら、fredericさんを含む西洋人にとっての「一般」や「普通」と思うことが、わたしたち日本人にとっては必ずしもそうでないからです。同じ人間としてのレベル、文化背景を無視した「一般」のレベルでは、日本人もフランス人も同じように、軽蔑的に他文化をみたり、あるいは逆にある種の理想・妄想をもったりしている、とわたしは考えています。その点で、fredericさんの指摘する、異文化に対する「フランス人の植民地的態度」は、日本人が持ちうるそれとは多少異なるだろう、なぜなら日本とフランスは同じ歴史をもっていないから、そこがわたしの論点だったのです。
「国際的・全世界共通」の結論や考えを出すのはとても難しいですね。とくに、「変な日本観」の議題では、なおさらそうです。以前にも言いましたが、伝統芸術だけが日本文化ではないし、アニメやゲームといった近年の文化だけが日本ではない。日本人がみんな着物を着ているわけではないが、今でも日本人は着物を着る機会があるし、人気もある。そういった新旧入り混じったものが日本であるし、西洋文化をたくさん取り入れているのも日本の文化、でもその文化移入には、本来の姿とちょっと違うこともあります。たとえば、日本で西洋のように、芝生の生えた公園を作ろうとすると、「芝生を育てるために(あるいは守るために)、中にはいらないでください」という看板があって、ヨーロッパのように芝生の上で寝たり、ピクニックができないことがあります。日本では、テラスのあるヨーロッパ風カフェなのに、結局みんな店内でカフェを飲むことがあります。日本人は奥まった場所が安心できるので好きですから・・・。他にもいろいろ、西洋人から見て変だと思うことはありますが、fredericさんの話に出た教授達の勘違いも同じ次元の問題ではないでしょうか。
fredericさんのいう「Exotisme」と「変な日本観」の関係、そして「Exotisme」の概念は全くの正論だと思います。しかし、「Exotisme」を敵視し、善悪二元論で片付けるのには反対です。というのも、「Exotisme」には、様々なレベルでの解釈があると思うからです。つまり、個人と社会です。ある人が、日本文化の一部分だけが好き(あるいはそれしか知らなくて)で、それ以外のものを見ない(=fredericさんのいう「自閉症」的な人)とき、それは個人の問題です。一方で、ある学校が、日本の伝統文化だけが好きで、最近の文化を勉強している学生を無視するなら、それは大問題です。
つまり、個人のレベルでの多少の「変な日本観」は、fredericさんのように「内心笑って」おくだけでいいと思うんです。その人が本当のことを知りたかったら、自分で調べたり、fredericさんに質問したりするでしょう。でももし、毎日こういう人たちのお世話をしていたら、きっとfredericさんは疲れてしまうでしょう。その気持ちもわかります。 とにかく、教授に「お経ではなく、焼き芋の歌だ」と教えてあげたのは、とても親切で良いことだと思います。
最後に、もう二点。
「万里の長城が宇宙から見える」というのは、人から聞いたので嘘かもしれません。
悪口ではないですが、共産主義の国では、自分の国を強く見せるためにデマ(=嘘のうわさ)を流すことがあるようなので、わたしもだまされたのかも・・・。
でも、実際に万里の長城をみると、「宇宙からみえるかも」と思うぐらい大きいので、ぜひ見に行ってください。
それから、村上龍。このフォーラムでも読んでいる人が多いようです。この間日本へ帰ったとき、新刊の「タナトス」を買いました。フランスではまだ翻訳が出ていないようです。「エクスタシー」と「メランコリア」に続く三部作の最後の小説です。個人的には、小説では「コインロッカー・ベイビーズ」と「愛と幻想のファシズム」と「超電導ナイトクラブ」が好きです。エッセーでは「すべての男は消耗品である」「龍言飛語」「EV.Café-超進化論」が好きです。fredericさんは何が好きですか。よかったら、新しいトピックにしましょう。 _________________ This one will know, how far I live on.
Dernière édition par Bluemonday le 20 Mai 2004 14:39; édité 1 fois |
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Bluemonday 4eme Dan
Inscrit le: 23 Mar 2004 Messages: 394 Points: 10765 Pays, Ville: Nishinomiya, Hyogo, Japan
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Posté le: 20 Mai 2004 13:38 Sujet du message: 万里の長城
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気になったので、ちょっと調べてみました。
http://members.at.infoseek.co.jp/shakaino/aerkaive/230.html
Citation: |
万里の長城が宇宙から見えなくなったわけ
ネットの片隅にちょっと興味を引くニュースが載っていた。
2004年の中国の新聞に、中国の教育省が中国の教科書に、
「宇宙から肉眼で万里の長城が見える」との記述を訂正するよう指示したという。
今まで、よく話のたとえにも出てきていたことだが、
人類が造ったもので宇宙から見えるのは、万里の長城だけだという話。
それほどまでに万里の長城という建築物は偉大であり、中国の歴史文化の代表として世界に誇れるものだ。この話は、比喩なのかもしれない。しかし、あの万里の長城なら本当に見えるのかもしれないという人々も納得しただろう。
この世界に誇れる建物が「宇宙からは見えない」とわざわざ中国教科書を訂正した中国の戦略を私は感じずにはいられない。
現実に、万里の長城が宇宙から本当に見えるのか、少し考えてみよう。
宇宙とはどこからが宇宙なのかという定義にもよるだろう。静止衛星の高度は36000kmとかなり高い。これは勿論、完全に宇宙だが、もっと低くても宇宙と呼べるのではないか。
たとえば、スパイ衛生やGPSに利用されている衛星はもっと低い高度を飛んでいる。
トリビアの泉という番組でもやっていたが、だいたい高度100km程度が宇宙だろうという。
人工衛生もこの高度を飛ぶと仮定してもいいだろう。
万里の長城の幅は広く見積もって10mと仮定してみよう。
これに対して、人間の目の分解能を考えてみる。視力検査のときのランドルト環(Cの字になっている図)で考える。宇宙飛行士は人並み外れた能力を持っているだろうから、視力を2.0と仮定してみる。2.0とは5m離れた距離で、ランドルト環の切れ目の幅が0.75mm程度を見分ける能力としてみよう。これを宇宙レベルに拡大すればいい。
50m離れると、見分けられるのは7.5mm。
500mで、75mm
5000mなら、750mm
50kmなら、7.5m
100kmなら、15mとなる。
惜しくも、肉眼で万里の長城はちょっと見えない。しかし、視力の良いマサイ族のような人なら、幅は10mだが距離が長い構造物を確認することができるかもしれない。気象条件など難しい環境もあるだろうが、強いて見れば見えるかもしれない。 しかし、これをあえて、「宇宙から見えない」と断定しているところに中国の転換点を見る。
これからの中国は昔の栄光にこだわってはない。これからは技術にこだわるのだという強い姿勢が見えてくる。
子供に対しても、もっと科学的に物事を見極める目を持つ人間を育成するというメッセージだろう。 中国の有人ロケット「神舟」の成功に日本の技術者は、
「人を宇宙の周回軌道に乗せることなど技術的にむずかしくない」とうそぶいているが、実際にはやっていない。
技術的に可能なのは分る。アメリカやロシアがとっくの昔に有人飛行をしているのだから。
問題は、本当に実行する力と技術力を持っているかだ。
H2Aも最近失敗ばかりしている。あれに人を乗せて果たして飛ばせるだけの品質を持っているのかと考えれば、中国の技術力の凄さが分ると思う。
中国は日本が思っている以上に速く進化している。日本人の頭の中には、未だに中国といえば中華料理というイメージが抜けないのではないだろうか。
政治的に安定すれば、さらに加速度的に発展するに違いない。 |
さらにfredericさんの意見を証明する記事です。(「人民網日本語版」2004年3月13日)
http://fpj.peopledaily.com.cn/2004/03/13/jp20040313_37552.html
Citation: |
更新時間 :2004年03月13日16:08 (北京時間)
万里の長城、国語教科書から「宇宙から見える」削除
「宇宙から万里の長城が肉眼で見える」という説は本当か?
中国は昨年11月、有人宇宙飛行を成功させた。中国初の宇宙飛行士・楊利偉氏は帰還後、テレビ局・中央電視台のインタビューで「長城は見えなかった」と話している。
小学校のある語文(国語)の教科書に、「長城磚」という散文詩が掲載されている。この中に、「宇宙飛行士は誇らしげに、『宇宙船から、空のかなたから私たちの星を観察すると2つの建造物が見える。一つはオランダの大堤防、一つは中国の万里の長城だ』と語った」という内容がある。
政治協商会議第10期全国委員会第2回会議で、王翔委員は「宇宙から肉眼で長城が見える」という「誤説」を改めるよう提案を出した。王翔委員は「専門家によると、宇宙船の高度は300~400キロメートルだが、300キロメートルの高さからは、500メートル規模の物がようやく『点』として認識できる程度だ。長城は幅10メートルで、明らかに足りない」と述べた。王委員はさらに、「教科書の散文が『擬人法』や『芸術的表現』だとしても、注釈や説明が必要だ」と指摘し、注釈等が掲載されていない同教科書について、「これでは小学生が正確な知識を得るのにマイナスになる」と話した。
教育部教材管理処のゾウ処長にインタビューしたところ、ゾウ処長は、「これについては前から知っており、すでに出版元の人民教育出版社に処理を指示した。現在、訂正作業が始まっており、『長城磚』は掲載を取り消すことになった」と説明した。(編集UM)
「人民網日本語版」2004年3月13日 |
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frederic 4eme Dan
Inscrit le: 16 Mai 2004 Messages: 132 Points: 8339 Pays, Ville: Tokyo
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Posté le: 20 Mai 2004 14:46 Sujet du message:
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ブルーさん、また長い返事ありがとう。
Wouahhh、返事はどこから始まればよいのでしょうか。まよっています。
まあ、「千里の行も足下より始まる」という日本のことわざに参考して始めましょう。
最初に「国際的・全世界共通」な結論を出さなければいけない思想に対し、ブルーさんの意見と賛成です。私の考えの大逆転ではなく、前のメッセージに書けなかった、この思想派の問題点をブルーさんが書いたからです。
定義した「フランスの考え方」は歴史的な考え方で、フランスの政治と外相にたくさんの失敗を起こしたんです。私の言いたかったのは、ブルーさんの前のメッセージを読んでその思想の点を思い出しただけです。
この思想の主な問題は、その「絶対的」な傾向です。この思想に乗っていた知識人たちは、自分の文化とか、育ていた環境の影響を削除できると思っていました。その影響を削除できたら、ゼロから(PascalのJe pense donc je suis)始まって、この世界のあらゆる物事を理解して、説明できると思っていました。しかしそれは無理です。
私もその伝統的な思想の影響を受けていると気づいているし、ブルーさんは指定したように異文化を無視したら何もならないことも気づいてます。
フランスの思想もクリスト教から強い影響を受けています、それを承知しなかたら「ゼロから始まる」という概念を実行できません。しかしその点に気づかなかったフランスの、知識人、政治家、哲学者など少なくもないんです。それは植民地の問題と強くつながっていると思います。
何かについて考える時に、その文化の差に認識してから考えないとだめだと思います。しかし、今それに気づいたフランスの思想家また知識人(例の教授を含めて)の中に逆の落とし穴に落ちてしまった人がいます。私はその「落とし穴」に「Exotisme」という名前をつけました。私にとっては「Exotisme」と言うのは異文化に魅惑されて思想の根本を失わせる現象、または異国、異文化を別の世界として扱わせる現象を示しています。
もっと分りやすくすると、Exotismeに魅惑されると、異国の人間は自分と同じ人間であることまでもを忘すれしまいます。どうせ「異なる」文化だから、是対に自分の思想の鍵で理解できません。
具体的な例を挙げると:
-フランスの植民地時代にフランス人は現地人(その地の本の人)よりも偉いと思っていました。
-植民地の ‘失敗’を体験して、うまくいけるように異文化をもっと理解してはいけないことに気づきました。異文化をもっと「尊敬」しなければいけない。
それはとてもいい提案ですが、落とし穴も隠されています。それは「尊敬」しすぎることです。例えば日本の場合に、ブルーさんも会った「日本好き」の人の中に日本に対する非議を絶対許さない人です。その人たちは「異文化を尊敬しなければいけない」と言う意訳を通じて、異国の社会、習慣、政治を批判できませんと強調してしまいます。それは極端な例ですが、分りやすくするようにしています。
Voila、まだあいまいな点とかあったら言ってください。
話題を変えて、村上龍に関してちょっと話しましょう。
僕にとっては「コインロッカー・ベイビーズ」は最高です。日本語で読みました(偉い 、偉い )。
しかし後はフランス語訳で「限りなく透明に近いブール」を読んでがっかりしました。本当にくだらないと思いました。その体験してから、村上龍の小説に手を出すの法控えました。コインビーズを読んでから村上龍のほかの小説を読んだらがかっりするばかりかなあと言う恐怖感に縛られて、それ以来村上の本を読みませんでした。この「限りなく空に近い小説」から乗り越えさせるお勧めの作品があったら教えてください。
村上龍のパリでの講演と見ました。日本の現代社会をもっと分るように参考になりましたが、村上の議論は少しあやふやで分りにくいも思いました。
じゃあ。 |
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hiroette Ceinture Orange
Inscrit le: 17 Jan 2004 Messages: 6 Points: 135 Pays, Ville: Tokyo
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Posté le: 23 Mai 2004 16:52 Sujet du message:
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私は不満に思っているわけでもないのですが、不満と取られてしまった書き方をしているのでしょうから、それは私の至らない点ですので、反省いたします。
>まず、外国人の文化の理解については、個人のレベルとそれ以外で区別をするべきだと思います。
これについては、お説ごもっとも。拝聴いたします。
>つまり、観光客が個人の趣味やら、美的感覚で空港のお土産物を買って帰るのには
>全く問題はありません。たとえ、その品物が偽物でも本人が気に入れば、そこにお
>金を出す価値があるわけです。
>これは、ブランド物に熱中する日本人と同じです。シャンゼリゼにいつもいる、
>ヴィトンやカルティエで高価なブランド品を買う多くの日本人をフランス人はきっ
>と同じように変だと思っているでしょうね。
そうですね。勝手なのでしょうね。でも、実際Bluemondayさんほど思慮深く考えていないフランス人の方々の多くはこうした日本人を心で馬鹿にしているなーと感じることもあります。それは、価値観の違いなので仕方がないのでしょう。
>あるいは観光名所で写真ばかり撮る日本人もかな? Laughing
これも典型的日本人の態度だとして割と海外では嘲笑の的になりますね。
Bluemondayさんもお笑いになっていますが。
でも、富士山を見て写真一枚も取る気にならない外国人観光客がいたとしたらそれも
私にとってはかなり驚きですが。よほど心に焼き付けるのが自分は上手だという核心のある方なのでしょう。と、ちょっと大げさに書いてしまいましたが、程度の問題ですよね。
>問題はそれが一般化し、社会や思想に影響を及ぼす場合です。
>例えば、間違った文化理解が大学の講義やマスコミを通して、あたかも事実のよう
>に大勢の人に伝わるとしたら大問題です。
私が困ったなあ、というのはまさにこの事です。アメリー・ノートンがまさにこれに当たります。社会的影響力の大きさという点ではそうです。私は彼女のあの作品から日本に対する愛情を理解できますが、表面的にしか理解しない人にはやはり問題があると思います。その人が日本文化に造詣が特に深くなければ尚更です。
>日本への情熱の対象は何だっていいのですから、その人の日本に対する夢や理想を
>頭ごなしに否定したり、悪口を言うする権利は日本人にはないと思います。まして
>やそんなことでストレス解消になるとは思いませんが、どうでしょう?
私も全くないと思います。そういう意味でブランド物を買い漁る日本人を嘲笑する権利もないと言うことですね。
私は不満と言うことではなく、日本についての理解がまだ浅くて、もっと素晴らしい物があるのに成田のニセ着物を本物だと思っていたとしたら、その方にとって残念だなあと思っていると言うことです。それについては、私たち日本人がわかりやすく外国の方々に知らせていかないといけないことなんだろうな、と思います。 _________________ **********
hiroette
http://hiroette.com
**********
++un site en trois langues(francaias, japonais, anglais) qui montre mes illustrations et introduit la culture japonaise.++ |
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Bluemonday 4eme Dan
Inscrit le: 23 Mar 2004 Messages: 394 Points: 10765 Pays, Ville: Nishinomiya, Hyogo, Japan
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Posté le: 23 Mai 2004 18:09 Sujet du message:
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こんにちは、はじめましてhiroetteさん。
hiroetteさんは、わたしよりもここでは古株で、ここ最近はお忙しかったようですが、戻ってきてくださってとてもうれしいです!
さて、hiroetteさんの前の投稿は、日が既に少し経っていて、わたしのスタンスも「若かったな」と読み返すにも恥ずかしいのですが、hiroetteさんほどフランス語・フランス文化に精通されている(hiroetteさんのサイトは素晴らしいです )方が狭い視野でご返答されたとは微塵も思っていませんでしたから、もしわたしの言い方がキツかったらごめんなさい。
こういった「変な日本観」のような議題は、問題提議のあり方で議論の内容・質が全く変わってします。その意味で、fredericさんからの投げかけは、その問題の根本を問い直すもので大変有意義だったと思います。ま、結果的に本題からちょっとずれた方で近日議論が沸いたのですが。
一点、写真のことに触れられたので、わたしの考えをちょっと書きます。
わたしはもともと写真は嫌いな方です。
写真うつりのこともありますが、それに写真を撮るときの「ハイ・ポーズ」の間が何より嫌いです。旅先での非現実的な「間」を壊される気がするからです。また、旅の写真を「ハイ」とみせられるより、その人の言葉で語られるほうに魅力を感じます。
簡単に言えば、「アナログ」な人間だということですかね。
最近はその点を改めて、行く先々でなるべくデジカメをもっていきますが(笑)、心に焼きつく場面を心のアルバムにしまって、時々見返す楽しみも大切にしています。
わたしの戯言を丁寧に読んでくださってありがとうございました。
よろしければ、さらにこの議題に関して、あるいはまた別の板でもどんどん発言なさってください。
楽しみにしています。 _________________ This one will know, how far I live on. |
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momoko Ceinture Blanche
Inscrit le: 17 Mai 2004 Messages: 11 Points: 0
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Posté le: 24 Mai 2004 14:38 Sujet du message:
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私も、この議題については横道にそらした部分でしか意見を述べていなかったので、
本題の方も、少し参加させていただこうと思います。
私はHiroetteさんの最初の投稿の部分の
私がフランス人に言われて一番返答に困るのは
「日本って男尊女卑がひどいんでしょ、かわいそうねーー」ですかね。
確かに反論の余地はないんだけど、「かわいそうねーー」と言われても、別にそこまでかわいそうだなあ、と思ってはいないけどなあ、などと思ってしまいます。
アメリー・ノートンなんかが流行っちゃったのでとても困りました。
というのに、全く同感です。アメリ・ノートンの作品の社会的な影響もあるでしょうけど、
それよりも、
「日本はフランスや他の欧米の国のようなジェンダーフリーが根付いてないこと」
=「日本は遅れてる、かわいそうな国」と思われることに、フランス人の傲慢さというか、
「自分達の国の方法のほうが進んでる、正しいんだ。日本も我々と同じにするべきだ。」
という西洋人特有の「異文化に対する植民地的態度」の延長のようなものを感じるんですよ。
日本がフランスと違うの当たり前。でも自分たちの国と違う部分をピックアップして、
「直した方がいい」などと言われるのは、余計なお世話だと思います。
私も自分が海外に行った時に、ひととおり観光地などを見て、「この国はいいね」って感動しても、やはり日程の最後の数日になると、「早く日本に帰りたいなあ」って思って、飛行機の窓から畑の真ん中にある成田空港のネオンが見えてくると、ホッとするんですよ。
「あーもう安全だ」と。
なんだかんだ言っても、生活のレベルはフランスよりも日本の方が上じゃないですか。
家電製品なんか日本の30年前ぐらいのを使ってるんですよね?
文明を途中で止めて、日本ほど過度には発展し過ぎてないけれども、他の部分に力を入れているのは、いい事だと思うんですよ。でも、経済状態の厳しさから女性も社会的な成功が必要だっていうのが、フランスの実際のところのような気がしませんか?
それに、どのように生きるか選ぶのは、個人のレベルの問題ですから、
女性でも社会的成功や独立して生きたければ、個人がそれを選びますからね。
そういう野心を持っていないのに、「かわいそうだ」などと言われたら、
「え?」って感じですよね。
逆に、日本で「社会的成功をしている女性」を探してる男性は、ヒモと勘違いされそう。 |
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Bluemonday 4eme Dan
Inscrit le: 23 Mar 2004 Messages: 394 Points: 10765 Pays, Ville: Nishinomiya, Hyogo, Japan
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Posté le: 24 Mai 2004 23:47 Sujet du message: 「植民地主義」の思想
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momoko a écrit: | それよりも、
「日本はフランスや他の欧米の国のようなジェンダーフリーが根付いてないこと」
=「日本は遅れてる、かわいそうな国」と思われることに、フランス人の傲慢さというか、
「自分達の国の方法のほうが進んでる、正しいんだ。日本も我々と同じにするべきだ。」
という西洋人特有の「異文化に対する植民地的態度」の延長のようなものを感じるんですよ。
日本がフランスと違うの当たり前。でも自分たちの国と違う部分をピックアップして、
「直した方がいい」などと言われるのは、余計なお世話だと思います。 |
まさに、fredericさんのおっしゃったフランスの「植民地主義」の考え方ですね。
frederic a écrit: | しかし問題になるのは、この「Exotisme」に憧れた人々が自分の誤解に気づく時です。
一方では「Exotique」な日本のイメージから離れない人は日本の問題を完全に無視してしまって、本当の日本を理解するよりも自分の妄想に引きこもってしまいます(自閉症かな)。
もう一方では「Exotique」な日本のイメージを崩れる時に、大逆転して「結局日本はたいした国じゃないか」と思いながら、植民地主義に落ちる場合が多い。私は植民地主義化したフランス人を何回も日本で会いました。植民地主義化というのは「相手国の人はまだ物知らずで、我々はその下級の民族に我々のすげれた知識か、思想で助からなければなりません。」という考えです。 |
この一節で出てきた「自閉症」の表現はもう議論し尽くしたので別として、 結果的にmomokoさんがfredericさんと同意見である、というのは興味深かったです。
わたしは、Exotismeという語を中心にしてダラダラ書きましたが、わたしも結果的に、このように誰かに「変な日本観」を決め付けられて説教されるのはいやだなと思います。 _________________ This one will know, how far I live on. |
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frederic 4eme Dan
Inscrit le: 16 Mai 2004 Messages: 132 Points: 8339 Pays, Ville: Tokyo
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Posté le: 25 Mai 2004 15:32 Sujet du message:
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Momokoさんメッセージにとても興味深いです。
私もMomokoさんのメッセージとほとんど賛成ですが、引っかかった点もいくつかあります。
Momokoさんは次の文章を書いた:
西洋人特有の「異文化に対する植民地的態度」
「特有」という言葉は問題です。確かに植民地態度を一番明らかにとったのは西洋ですが、アジアにもその植民地概念は存在しています。
日本の場合に次の具体例があります:
-アイヌ族に対する日本政府の態度(歴史的な面で)
-第二次大戦争の終わりまでの日本植民地の人口に対する日本政府の態度。
1番目の例は明らかに「異文化に対する植民地的態度」です。2番目は日本植民地の韓国とフランスの植民地のアルジェリアに比較すればいくつかの共通点があります。だから単純化にしても「異文化に対する植民地的態度」は西洋特有の問題だと言えません。
あとはMomokoさんは結論としては次の文章を書きました:
それに、どのように生きるか選ぶのは、個人のレベルの問題ですから、
女性でも社会的成功や独立して生きたければ、個人がそれを選びますからね。
そういう野心を持っていないのに、「かわいそうだ」などと言われたら、
「え?」って感じですよね。
それは確かです。自分はどういう風に生きるか、自分で選びます。鍵の言葉は「選ぶ」というものです。「Macho」だと言える日本社会では、女性だったら、自分の歩みたい道を本当に選べれるのでしょうか。それは疑問に思っています。
女性権利は西洋の概念だから無視すると言うより、女性権利はなんですかと考えた方が良いのではないでしょうか。その点について調べたあとに女性権利は日本で必要かどうかを考えて、日本風の女性権利を作るんです。同じように民衆主義は日本の概念ではないし、人民権利も日本の概念でもないし、しかし日本にちゃんと存在しています。
女性権利と日本の場合に、フランスでは「日本はフランスと同じ権利を持つべき」と思う人がいると思いますが、「日本では女性の権利をもっと進んだ方がいい」という風に考える人もいると思っています。一方では「日本は優れたフランスと同じことをしなければいけません」と言う植民地態度の傾向があって、もう一方では日本の女性の立場を考慮して、日本社会の進歩を目指しています。
日本でも女性の権利のために戦った日本人もたくさんいます。歴史的にみると日本社会の中の女性の立場は時代によって大きく変わりました。平安時代の女性の強い立場から、第二次大戦争中の女性の低い立場まで(与謝野晶子を参考して)。現代でも女性の権利のために戦い続ける自民団体などのおかげで、日本で女性の権利はどんどん進んでいます。しかし日本社会の中に女性が差別されている面がまだたくさんあります。特に就職の場合に。例えば会社に入ったら、女性でも男性でも同じ扱いされているのですか。
Momokoさんの言ったように、自分の生き方を自分で決めます。だからこそ、政治的にも、社会的にも自分の生き方を強制的に強いられないように、自分の権利のために戦います。女性の場合にもっと自由に自分の生き方を選べられるように、女性の権利のために戦う必要があると思います。
要するに、フランスであっても、日本であっても、どういう風に自分の社会の中でもっと自由に幸せに生きることができるかについての問題だと思います。私も、文明を置いて、経済発展に全力を尽くす選択はいい選択ではないと思います。また、現在女性に対するの日本社会制度で満足している女性がいると知っていますが、その制度のせいで強く不満を抱いている女性もかなり多いと思います。その女性達のために戦う必要があると思います。社会はもっと寛容になったら、今まで満足していた女性は満足し続けますし、不満に思っていた女性は少しホッとするし、いわば進展になります。
そういう考え方に考慮して、Momokoさんはなぜ「日本の女性はかわいそう」と言われているのか少しでも理解できたらうれしい。 |
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chocobanane Ceinture Jaune
Inscrit le: 28 Avr 2004 Messages: 22 Points: 83 Pays, Ville: Paris
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Posté le: 26 Mai 2004 15:04 Sujet du message: momokoさん、きつかったらごめんなさい。
Note du Post : 5 Nombre d'avis : 1 |
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私はmomokoさんの投稿で心にひっかかるものを感じました。
momokoさんの文章展開を大雑把にまとめると、
フランスは日本よりジェンダーに関して先進国かもしれないが、しかし、日本はフランスより治安がよく生活レベルは上であり、経済状態が良いからジェンダーフリーが実現される必要がないのだ、となります。
かなり乱暴なまとめ方であるのは承知ですが、わたしがmomokoさんの文章を読んだときにとてもショックを受けたのだということを理解していただきたいです。
この論理展開、つまりフランスはある部分において日本より優れているかもしれないが、他のある部分においては日本のほうが優れているという優劣による2分論は、歴史的に黒人主義者や女権主義者の一部分の人々が犯してしまった誤った議論に通じるものだと思います。
Fredricさんがおっしゃるように、日本では女性の地位が社会的圧力によって制限されてきたのは事実ですし、現在においても社会的成功をする機会は男性と均等には与えられていません。フランス国のように、幹部ポストに女性を○人起用するという制度による女性地位の向上も行われていません。一般的にみれば、成功したいという意欲ある女性たちが、日本社会で生きていくとき、困難な選択や多くの努力を余儀なくされるでしょう。(負け犬の遠吠えというベストセラーもありますよね)
その日本の状況と比較してフランス女性が幸せだと楽観的に言うことは決してできません。女性を取り巻く様々な社会問題(経済、家族形態、子ども、失業など)が思い浮かびます。(移民のことを考えれば、フランス女性と一括すること事態が無意味なことがわかります)
つまり、日本女性はみな不幸でフランス女性がみな幸福だというばかげた議論と同様に、日本国とフランス共和国に優劣をつける考え方事態を避けるべきではないかと思います。 |
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momoko Ceinture Blanche
Inscrit le: 17 Mai 2004 Messages: 11 Points: 0
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Posté le: 27 Mai 2004 11:59 Sujet du message:
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>Chocobananaさん
Chocobananaさんのメッセージがきついとは思わなかったです。
気を使っていただいてありがとうございます。
chocobanaさんのおっしゃる意味はわかりました。
ただ、私の書き方が悪かったのだと思います。特に優劣をつけるつもりはなかったのですが、
フランスやアメリカと同じようにしたからといって、ほんとにそれが「いいこと」なのかどうか、「私は疑問」だと書きたかったのでした。
たとえ法律を改正しても、女子が出世できないからといって「法律違反だ!」などと会社を訴える人は日本では少ないでしょうし、法律が変わっても、既に力を握っている不特定多数の男性の考えが変わらなければ、法律とは関係ない部分で職場の上役に嫌われたりしたら、それこそ、その人にとって、その職場での生活が居心地の悪いものになってしまうのではないでしょうか。
そんなことなら、お茶入れでもコピー取りでも何でもして、皆が心地よく過ごせる道を選んでしまうのが
「ごく普通の女の子」
じゃないでしょうか?
「強者の声ほどよくとどく」で、こういう権利を主張しているのは、もう既に強い立場にいる女性に思えてならないです。
扶養控除削減したからといって、そのために小さい子供を置いて働きに行く母親は、それほど日本にいるでしょうか?
犯罪者を出さないためには、家族の絆が一番大事な役割をするといいます。
日本では、まだ家族の絆は強いです。フランスやアメリカにそれがあるでしょうか?
でも、わかりました、どちらが優れてるとは考えません。残りは個人の価値観の問題ですね。
>fredericさん
まだ1年生なので、就職については、まだ何も考えていないのですが、
小学校でも、先生は男の子を「ブル男くん」と呼んではいけなく、「ブル男さん」と呼ばなければならなかったり、女の子を「ブル子ちゃん、かわいい」とか、男の子を「ブル男くん、たくましい」というような表現で賛辞してはいけないとか、このようなことが日本で必要なのか、私は疑問です。 |
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