Voir le sujet précédent :: Voir le sujet suivant |
Auteur |
Message |
joel Ceinture Blanche
Inscrit le: 29 Juil 2007 Messages: 6 Points: 0
|
Posté le: 29 Juil 2007 22:14 Sujet du message: « 紫微 »というものが分かりません.
Ce message n'a pas encore été noté. |
|
|
こんにちは
次の文書を翻訳して見ます.
伝え聞く 天国紫微の神宮を 目の当り拝む心地こそすれ
« 紫微 »というものが分かりません.
それを簡単な言葉を使って説明させて頂いてよろしいでしょおうか.
どうも有り難うございます. |
|
Revenir en haut |
|
|
yûri 2eme Dan
Inscrit le: 04 Nov 2005 Messages: 167 Points: 3039 Pays, Ville: Tokyo
|
|
Revenir en haut |
|
|
joel Ceinture Blanche
Inscrit le: 29 Juil 2007 Messages: 6 Points: 0
|
Posté le: 31 Juil 2007 19:20 Sujet du message: 深い意味のあるものだ
Ce message n'a pas encore été noté. |
|
|
ご親切どうも有り難うございました
このみ教えが私には分かりにくいですが、深い意味のあるものだからです.
どうも有り難うございました
ジョエル |
|
Revenir en haut |
|
|
joel Ceinture Blanche
Inscrit le: 29 Juil 2007 Messages: 6 Points: 0
|
Posté le: 31 Juil 2007 20:48 Sujet du message: 岡田茂吉のみ教えが大変素晴らしいです
Ce message n'a pas encore été noté. |
|
|
若かった時学校で日本語を勉強しましたが、今になってちょっと日本語を書いてみますが、私には日本語を話すことも書くこともむずかしいです。
おさない時から、日本文化によく関心しています。とくべつには、精神のものに関心しています。
岡田茂吉のみ教えが大変素晴らしいです。時々、その歌を拝読してみますがわかりにくいものです。古い日本語で書いてあるものだとおもいます。その歌を読んで神様の深い心をよく感じるとおもいます。
最近、次の歌を読んで見ました。
かむながら 我日の本は美の国と 奠まりいるなり忘れなよゆめ
簡単な言葉を使ってその教えを説明させて頂いてよろしいでしょうか。
まことに有り難うございます。
JOEL |
|
Revenir en haut |
|
|
yûri 2eme Dan
Inscrit le: 04 Nov 2005 Messages: 167 Points: 3039 Pays, Ville: Tokyo
|
Posté le: 05 Aoû 2007 23:29 Sujet du message:
Ce message n'a pas encore été noté. |
|
|
ジョエルさん
最初の歌を現代日本語にすると、
伝え聞いている 天国紫微の神宮を 目の前に、拝むような心地がします。
二番目の歌は難しい字を使っていますね。
かむながら 我日の本は美の国と 奠まりいるなり忘れなよゆめ
奠は、「おく、安定させておく、 定める」などの意味があります。
ためしに現代の日本語になおしてみると、
神の心のまま、わが日本の国は、むかしから美の国です。このことを忘れないでください。
ただ、わたしは、歌や古文は、専門家ではありませんから、間違っている可能性が高いです。他の人の意見も知りたいです。
なぜ、フランスの人(?)が、岡田茂吉に関心があるのか、興味があります。
世界救世教、岡田茂吉の教えは、日本でもあまり有名ではないと思います。
わたしは、たまたま熱海のMOA美術館へ行き、世界救世教をしりました。
MOA美術館は熱海の名所です。
また、うちの近くにイエズス会の神学院があり、そのすぐ近くに世界救世教の道場があるのを見たことがあります。なんだか、面白いものが同士がご近所だなぁと、不思議に思って、印象に残っています。
どうして、岡田茂吉に関心があるのですか。
これを機会に岡田茂吉の文章をちょっと読みましたが、とても日本的です。ジョエルさんがどうしてこれに魅かれるのか、不思議に思いました。 _________________ 「信とは、空間的には、間を空けることであり、時間的には、間を待つことである。」(野口三千三) |
|
Revenir en haut |
|
|
|