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ヨーロッパ人に質問。

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Bluemonday
4eme Dan
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MessagePosté le: 08 Juil 2004 12:22    Sujet du message: 脱線してはいないですけど・・・

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こんにちはryocoさん。
フォーラム・ジャポンへようこそ。 Very Happy

スレ削除の件は、フォーラムの機能をよくご存じなかったのですから、仕方がなかったですね。メッセージの編集に関しては、参加者各位にお任せしていますが、なるべくメッセージ削除(×)を選ぶよりは編集(éditer)を使って書き換えるか、部分削除にしていただけると有り難いです。というのも、ここに書いてあるように、議論に混乱を及ぼす危険性があるからです。

「フォーラム・ジャポン」の使い方 a écrit:
②editer=編集(各投稿の右上)
自分自身の投稿を修正したい場合、この機能が便利です。ここをクリックすると、本文を含んだメッセージ作成のページへと自動的にスキップします。メッセージ内の校正は、ご自身の責任で自由に変えることができますが、議論の流れを全く遮断するような改竄行為はご遠慮ください。あなたのメッセージを完全に消去したい場合は、管理・仲裁人にまでMPでその旨をお知らせくださいますようお願い申し上げます。


これは規則ではなく、フォーラム管理の便宜上、日本語セクションにおいては、このようなお願いを付け加えましたが、フランス語セクションでは今のところ全く規制はありません。

他に、「フォーラム・ジャポン」の使い方に関して質問があれば、専用post it「意見箱」の方へお願いします。



ryoco a écrit:

ryoco a écrit:
私にはやはり『甘え』という概念が薄いのかもしれませんね。
『人間関係』、特に愛する人が『甘えられる存在』だという事は絶対的に不可欠な要素だと私は個人的に思うのですが。それは日本人だけでは必ずしもない感情だと思っていましたが、大きな間違いでしょうか?

以前、こんな指摘を受けた事がありました。

『友達とみんなで食事をしている時、二人きりでの会話の時、ホテルのフロントマンに対応している時、恋人に問いかける時、いろいろな君がいるね。』

その時の会話がブルーさんの質問と共通していたように感じたのです。

TPOにあわせての会話。極自然な事だと認識していたのですが・・・・。これっておかしいのかしら? Rolling Eyes
人によって人格を代えているつもりもないですし(そんなに器用な方ではないので・・・ )

これがまさにヨーロッパ人の求めたがる唯一の人格がそこになかったからなのでしょうか?
全てが私であることに間違いはないのですが・・・。

日本人の意見、ヨーロッパの方の意見。いろいろ聞いてみたいなって思います。


大きく話題からそれていますので、やはりこちらに乗せるべきではないでしょうが、あえて新設するのもちょっと嫌だったので・・・・。 Wink

つまり相手の立場に合わせて会話をするということが唯一の自分ではなくなっているの?ということなんですが・・・・。
なんか、そんなことないよな。。。って自己解決してしまったんですよね。
おかしなこと言ってるな?あたし??って。ふふふ。 Embarassed


ryocoさんの質問は話題から全然はずれていません。 Wink
私が引用した村上龍の一節では、語の使用が曖昧なのですが、要約するとこうです。

「わたしが、たった一人のわたしを自分で規定すること」
「それ以外には自分はないという唯一の自分」
Arrow 自分の意志を持って話すこと=自分のアイデンティティーに誠実な生き方=建前ではなく、本音で他者と接すること

ヨーロッパと日本では各個人のアイデンティティーの生成過程が異なります。
ヨーロッパ人は、個人主義に基づいて、自分が属する集団と自己との間に距離を置きます。例えば、ヨーロッパ人会社員の場合、自分の生活の一部の中に会社での生活が組み込まれていると考えます。
それに対して、日本人は、集団主義に基づいて、自分が属する集団との距離を最短にした状態で、自己が帰属する場所を常に探します。例えば、日本人会社員の場合、会社の中での自分の役割が最も重要で、私的生活の面は最初から除外して考えます。

極端な例ですが、大体このような違いがあると言えるでしょう。

「TPOに合わせた会話をする」という行為自体は全世界共通で、ヨーロッパ人もお世辞を言ったりします。しかし、彼らにとってのお世辞はお世辞でしかなく本音ではないのです。つまり単なる話術として使われるだけで、それ自体に重要性がありません。それに対して、日本人の場合は、建前と本音の境界線が曖昧ですから、日本人にとってはお世辞の意味で言ってなくても、ヨーロッパ人にとってはお世辞に聞こえる場合があります。

簡単な例え話で説明します。
A君(日本人)にフランス人の彼女、Bさんができました。二人はお互いのことが大好きで、A君は本当に彼女のことを綺麗な人だと思っています。ある日二人がデートをしていた時、偶然A君の学生時代のC先生と出会います。C先生は彼らを見て、A君に話しかけました。
C先生「あら、A君、久しぶりね。この人はあなたの彼女なの?すごく美人ね。」
A君「いやぁ、そんなことないですよ。」
この会話を聞いたBさんは、黙っていました。そして先生が立ち去った後、Aくんに詰問します。
Bさん「どうして、C先生にわたしのことを美人じゃないと言ったの?普段そんなこと言わないのに、本当はそう思っていたのね。あなたは本当にひどい人だわ!」
A君「ごめん、でもそうじゃなくて、君のことは本当に美人だと思っているけど、日本では他人に自分の彼女のことを誉めるのは失礼なんだよ。」
この後、二人の議論は平行線をたどりました。A君は何度も「日本では謙遜が美徳なのだ」と説明しましたが、Bさんは理解できず、A君に大変失望してしまうだけでした。

つまり、ヨーロッパ人にとって本音が美徳で建前は悪です。日本人にとっては建前が美徳で本音は悪徳(というか、子どもっぽい行動?)なのです。これを双方の観点から見れば、ヨーロッパ人はこう考えます。
「日本人は建前を大切にし過ぎて、本音を言わない。社会や他者に拘束されすぎている。自由や誠実さがない。」
一方日本人はこう考えます。
「ヨーロッパ人は自分のことばかり考えている。社会や他者が彼らの言動をどう受け止めることや、他人の思いやりや、その場の雰囲気を読んで中立的な態度を取ることで〈和〉を重んじることなどを全く無視している。なんて子どもっぽいのだろう。」

この2つの考えは水と油のように相容れないものなので、私達は善悪の判断をするのではなく、その差異を認めることしかできません。

「甘え」の問題は、その本音と建前の境界線の曖昧さを示しています。ヨーロッパでは身近な人には常に本音で話すことが主流です。日本では身近な人にも無意識に建前で話していることがあります。つまり、本音を他者に見せること=「わたしが、たった一人のわたしを自分で規定すること」が苦手なのです。だから、日本人は日常生活の中で、自分が誰なのか意識せずに暮らしているし、日本には意識しなくても生活できる社会構造(=甘えの構造)があるので、そのために日本人各個人は自己に対する疑問を持たないのと同時に、他人が誰であるかを知る必要もないのです。そのことは、ヨーロッパ人にとっては不思議で、日本人にはとても自然なことなのです。だから、日本人が日本の中の「甘えの構造」の輪郭が明確に見ることができないのは当然です。(「木を見て森を見ず」とよく言いますから。 Razz

ryocoさんに『友達とみんなで食事をしている時、二人きりでの会話の時、ホテルのフロントマンに対応している時、恋人に問いかける時、いろいろな君がいるね。』 と言った人はおそらく、ヨーロッパ的視点を持った人でしょう。その人はA君とBさんよりも大人びた人で喧嘩になるような言い方をしなかったことが幸いですね。 Wink
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xvn
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MessagePosté le: 13 Déc 2004 01:46    Sujet du message:

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簡単なあいさつを他のトピックでしましたが、本格的な書き込みは初めてのxvnです。よろしくお願いします Surprised

「甘え」についての考察、大変興味深く読みました。実は日本国外で5年以上生きてきたにも関わらず、自分の中の甘えに気づいていませんでした。
現地の人に触れることが圧倒的に多かった滞在当初の数年は、特に違和感なく働き、人々と接していました。それがここ1-2年、現地の人との溝を深く感じるようになりました。それは、ある活動をきっかけとして、日本語で書いたり話したりする割合が増え、ウン十年の日本での生活で染み付いた日本人的振る舞いが前面に出るようになったからかと自己分析しています。自分のことを話し出すと終わりが来ませんので Wink 端折って話しますと、私の中の甘えが増大してきたことが違和感の要因だと最近気づいたところです。
このトピックでのやりとりを読んで、自分の中で曖昧だったことが明らかになり参考になりました。ただ、私にとっての「甘え」考察はまだまだ気づきの段階です。これからもっといろいろな材料を集めて熟考してみる必要がありそうです。

あー、前置きが長いですね。すみません Embarassed
上のような事情で、このトピックの書き込みを読んで気になったところ、疑問をもったところを明らかにしていければと思い、発言しています。

Fredericさんは「甘え」という概念が曖昧で、それに不快感を覚えておられるのですね。「曖昧」はヨーロッパでは(あるいはFredericさんにとっては)100%ネガティブという解釈は正しいでしょうか?
私はと言えば、「曖昧さ」に美を感じます。←突然、話のトーンを変えてしまいましたでしょうか? おそらく日本人としてその文化、慣習で育ったからこその感覚でしょう。ずっとそう思っていたわけでもありません。年齢を重ねて、近年そういう考えに落ち着きました。そして曖昧さを否定せず中立的に捉えることは、私のアイデンティティの一部を表すとも考えます。

まだ自分の中で確信のある見解ではありませんが、東洋と西洋の違いについて、このごろ思うことがあります。例えば日本は多神教でキリスト教圏は絶対神。そこにも表れているように、日本は相対的な考え方をすることが多い。自分もそうだと思います。絶対的なものがあるとしたら、それは自分が「選んだ」結果としての絶対。

<訂正:以下の文字の小さい数段落を却下します。日本社会の「甘え」における魂の触れ合いとフランスのそれとを比べる前提がまちがっていました。前提とは、「個人主義の徹底したフランスの人たちは魂の触れ合いを(それほど)求めていない」ということです。比較は成り立ちませんが、一応「甘え」考察の一環の足跡として消さずに残しておきます>

それから、日本社会の「甘え」について、私の捉え方を話してみたいと思います。
人間一人一人が立っている。生命は一人に一つ与えられている。ただ、その個々の生命に宿る魂が他の魂と交わる部分が日本の場合、より広い。他人との交流は人生の醍醐味だと思います。私はより深く人と触れ合いたい。もちろん、体ではなく魂の問題です。
例えば文学や芸術などの自己表現は自分の魂の公開だと思います。もちろん、いろんな種類のものがあるので一概には言えませんが。文学や芸術など自己表現の場がより熟している(と思える)フランスなど、魂を他人と触れ合わせたいと思っている人が相当いるということにはならないでしょうか。そう考えると、社会の形式が違っても、もとを正すと人間みな同じなのでは?と思うのですが。
「甘え」というテーマからずれてしまっているかな?


あくまで自己流の考えです。勉強が足りなくて穴だらけの意見かも知れませんが、思うままに書いてみました。

ちなみに、「lucide」ということばはとても美しいと思います。日本語訳は「明晰な、明敏な、明快な」といったところですが、「lucide」ということばに出会うたびに、日本語訳とは微妙に違うニュアンスを覚えてドキッとします。


Dernière édition par xvn le 14 Déc 2004 16:47; édité 1 fois
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Bluemonday
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MessagePosté le: 13 Déc 2004 04:38    Sujet du message:

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初めましてxvnさん。
素晴らしい本格的”初”投稿ですよ!
xvnさんのおっしゃることを読んでいると、非常に良いように異文化空間を生きて居られるのだなあとつくづく感心です。
確かに外国にいて違和感を感じるのは最初の数年と暫く経ってからでは微妙に違いますね。それは、その国や文化や国民性をよく理解し始めた事実の裏返しだろうと思います。最初は何事も「木を見て森を見ず」ですね。
自分もあまり偉そうなことが言えるほどの人生経験もないんであれなんですが、xvnさんの投稿を拝読し、ちゃんとご挨拶しておこうと思って返信させて頂いてます。

「曖昧」についてのFredericさんの意見への理解に関してはほぼ同感です。ただ記憶が正しければ、彼は自分個人のことよりむしろ彼が思う日仏国民の間の一般的差異について言及したかったように思います。(要確認)
xvnさんご自身の「曖昧」についての定義は私のそれと共通点が多いです。もう少し進めて言えば、私にとっては日本人の曖昧さとそこに美を見つける審美眼は、私の敬愛する谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で論じたように陰と光が成す空間美につながっています。日本人は昔からミッフィー絵本のような原色的赤・青・黄の色使いではなく、紅・藍・黄土色のような少し陰の入った色を好んで来ました。要するに、そういう風合い、竹を割ったような説明ができない、まさに曖昧で微妙な色の風合いを自然と愛してきたわけです。そこに日本人が感じる、愛着を持つ全ての「曖昧さ」の原点があり、また浅見ですが人間関係においてはそれが「甘え」として表面化するのだろうと推測しております。

「自己表現のありかた」については、個人的には日本人は特に西洋人と比べて下手とはあまり思いません、というか個人差の方も大きいと言えませんか?もちろん両文化において差異がありますから、同国人同士でないと通じないサインもあるだろうし、あるいは西洋的付き合い方を強要される環境においては日本人は「下手」と判断されても仕方がないでしょうね。しかし、それは日本人としての前提を無視した日本人にとっては不公平なものですから、西洋人を日本的環境におけば逆もまた然りではないでしょうか。


ということで、これからも楽しく議論ができるといいですね。
では、失礼しました。
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xvn
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MessagePosté le: 14 Déc 2004 15:57    Sujet du message:

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Bluemondayさん、はじめまして。

Bluemonday a écrit:
素晴らしい本格的”初”投稿ですよ!
xvnさんのおっしゃることを読んでいると、非常に良いように異文化空間を生きて居られるのだなあとつくづく感心です。


思いがけないことばでした。とても嬉しく思います Very Happy  ありがとうございます。
自分では、異文化への適応力がなくなったようで住みづらくなってきて、始めはどうしたものかと思っていました。自分のアイデンティティを否定するつもりは毛頭ないのですが、どこかに偏見があるのでは?という疑いもあったり。でも、原因などが見えてきて、かなり整理できてきました。

Bluemondayさんが言及されていた、「本音と建前の境界線が曖昧」ということ。そういうことか、と気づかされました。確かに身についてしまったものはなかなか抜けず、無意識なだけに曖昧です。そして無意識のうちに現地の人にも同様の態度(まったく同様でもないですが)で接してしまうこと。それは、相手が自分から見た異文化出身の人だという意識をしなくなったという証しでもあると思うのです。始めはむしろ現地の人たちになじむような「明晰」な言動をする自分で接していた。無理をしていたわけでもなく、そういう部分の自分が前面に出てそれなりに生き易かった。ところが日本人の人たちと接することが多くなった後は「言わぬが仏」を痛感してしまい、考えが逆転して、日本で身に着けた対応キット Wink のお出まし。

Bluemonday a écrit:
ただ記憶が正しければ、彼は自分個人のことよりむしろ彼が思う日仏国民の間の一般的差異について言及したかったように思います。(要確認)


ざっと読み直してみて、Fredericさん個人の感覚だと私は捉えました。いずれにしろ、ヨーロッパの価値観というのはまちがいでした(この曖昧さはよくなかったですね Wink )。

Bluemonday a écrit:
日本人は昔からミッフィー絵本のような原色的赤・青・黄の色使いではなく、紅・藍・黄土色のような少し陰の入った色を好んで来ました。要するに、そういう風合い、竹を割ったような説明ができない、まさに曖昧で微妙な色の風合いを自然と愛してきたわけです。そこに日本人が感じる、愛着を持つ全ての「曖昧さ」の原点があり、また浅見ですが人間関係においてはそれが「甘え」として表面化するのだろうと推測しております。


同感です。まさに、黄土色や群青色といった中間色というのでしょうか、私はそこに落ち着きを感じます。その上、ものごとの結論が白黒でなくても、むしろ灰色であることに人間らしさを覚えるところが強くなってきましたが、それは個人的性質プラス日本人としての感覚があるのかな。その点についてはまだ明確ではありません。
また、曖昧さと甘えのつながりについてはもう少し考えてみたいと思います。

読み返してみると、Fredericさんは「日本人のアイデンティティを地理、天候などに探すより、近代政治と教育の分析と理解を通じて追求した方が有効」と発言されています。この点、まさに私は日本人のアイデンティティ理解の鍵は日本の風土にあると考えている一人です。少なくとも今の時点では。日本人の「曖昧さ」の肯定感を解く鍵はその風土にあり、切り離して考えることはできないと思うのです。

Bluemonday a écrit:
「自己表現のありかた」については、個人的には日本人は特に西洋人と比べて下手とはあまり思いません、というか個人差の方も大きいと言えませんか?


この件については誤解があると思います。先回の私の投稿での「文学や芸術など自己表現の場がより熟している(と思える)フランス」という部分は、フランスでは文学や芸術の発表の「場所」がより大きく豊かだといった意味で書きました。根拠としては、具体的なところで言えば国が負担する文化系の助成金の差。また、文化が政治経済などと同じ(まったく同じかはわかりませんが)表舞台で注目されていること。文化分野の得ている市民権と言いますか。あくまで日本と比べた場合です。また、歴史の面で見ても、他国の表現者たちの亡命を受け入れてきたこと。地理的に例えば早くから芸術の交差点だったこと(1900年のパリ博がその始まりだと考えていいのかどうか?)。そんな中で淘汰もあり、「場所」としては鍛えられているように見えるのですが。

Bluemondayさんのご質問(先の引用)に対して答えれば、同意です。個人差があるから、自己表現のありかたの上手下手は一概にどうと言えないと思います。西洋を基準とした判断では確かに不公平です。

Bluemondayさん、今後もよろしくお願いします。

(以下は特にBluemondayさんのみ宛ということではありません)

先回の自分の投稿の中の意見を一部却下したいと思います(後ほど原文に訂正を入れておくつもりです)。
「甘え」の捉え方として、
「その個々の生命に宿る魂が他の魂と交わる部分が日本の場合、より広い」
と書きました。しかし、自分の経験上のことしか言えませんが、フランス人は魂の触れ合いをしてきますね。個人主義だからといって、人の魂と距離を置きたいということではないですね。だから、私の推測は成り立ちません。魂の触れ合いをしたいしたくないの問題ではないということですね。「支え合い」という、触れ合い方の違いかという印象があります。

体系的にまったく学んでおらず、偏っている上に読みかじりなのですが、例えば自分の典型的日本人意識の捉え方は以下の引用に表されているように思います。ただし、一番目はキリスト教圏の意識についてです。

丸山真男『日本の思想』 a écrit:
…キリスト教-これこそヨーロッパの最も頑強な「公式」だ-の長年涵養した生の積極的肯定の考え方が普遍化している社会…

丸山真男『日本の思想』 a écrit:
…日本のように生活のなかに無常感や「うき世」観のような形の逃避意識があると…

丸山真男『日本の思想』 a écrit:
…たとえば世界は不条理だという命題は、世はままならぬもの、という形で庶民の昔からの常識になっている。


以下、ごく個人的な見解です。

ひとつ、「甘えの構造」の中にいた一人として付け加えたいのは、その構造の中でも私はギブアンドテイクのようなバランスを取ることを心がけていたということです。日本の「甘え構造」にある暗黙のルール。甘える対象である相手も時には自分に甘えるという前提がある上での甘え関係。フランスではどういう捉え方がされているかはっきりわかりませんが、「la solidarite」(連帯、団結)と遠からずとも思えるのですが Question そんなことも明らかにしていった上で「甘え」を理解したいものだと思います。

ただ、すでにBluemondayさんとFredericさんの対話の中にあったように、社会の中での「個人」のあり方が日本とフランスでは違うので、「甘え」のように日仏両国で対等でない概念があるのも当然のようにも思います。「ヨーロッパでは個性と社会階級が別々に扱われている」、「日本では社会構造に個人が侵略されている」といったFredericさんの指摘はヨーロッパ人の観点からはもっともだと思いました。大きく分けて、縦社会と横社会の違いと捉えています。

知識が足りず推測でしかないのですが、「共依存」という概念は西洋の精神分析分野から生まれたことばではないでしょうか。今日、日本人自らが、日本式な「甘え」を西洋の概念である「共依存」で判断しようとしているところがあるような気がします。この件に始まったことではないのですが、そこには違和感があります。

以上、考えることを並べただけですが、日本で生まれ育った一個人として発信したいと思いました。
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